日本の元号
康安 (元号)
康安(こうあん)は、日本の南北朝時代に北朝で使用された元号。1361年から1362年までの期間を指し、室町幕府の政治的混乱期と重なる。
📌 主なポイント
- ✓康安は南北朝時代の北朝における元号である。
- ✓使用期間は1361年から1362年までである。
- ✓康安元年6月に発生した地震は、南海トラフ巨大地震と推定されている。
康安(こうあん)は、日本の南北朝時代に北朝で使用された元号の一つである。延文の後、貞治の前にあたり、1361年から1362年までの期間を指す。この時期、北朝の天皇は後光厳天皇であり、南朝は後村上天皇が統治していた。室町幕府の将軍は足利義詮であった。
改元
延文6年3月29日(ユリウス暦1361年5月4日)に改元が行われ、康安2年9月23日(ユリウス暦1362年10月11日)に貞治へと改元された。『太平記』巻36の記述によれば、改元の夜に京都で大火が発生したため、改元に対する批判の声が上がったものの、室町幕府の強硬な姿勢によりそのまま実施されたとされる。
出典
元号の由来は、『史記正義』にある「天下衆事咸得康安、以致天下太平」および『唐紀』の「作治康凱安之舞」から採られたものとされる。
康安期におきた主な出来事
康安年間は、室町幕府内部の対立や南朝勢力の活発な動きが重なった時期である。
- 康安元年(1361年):6月に斯波氏経が九州探題に任命された。同月24日には『太平記』にも記録される「康安地震」が発生しており、これは南海トラフを震源とする巨大地震であったと推定されている。8月には菊池武光が筑前国で少弐冬資らを破り、南朝の懐良親王を大宰府に迎えた。10月には幕府執事(管領)の細川清氏が失脚し南朝へ降伏。12月には細川清氏や楠木正儀らが京都へ侵攻し、一時的に占領する事態となった。
- 康安2年(1362年):7月、南朝方として戦った細川清氏が讃岐国で戦死した。これに伴い、斯波義将が管領に就任した。9月には伊豆へ逃れていた畠山国清が降伏した。
よくある質問
康安という元号はいつからいつまで使われましたか?
1361年(延文6年)から1362年(康安2年)まで使用されました。
康安の元号の由来は何ですか?
『史記正義』の「天下衆事咸得康安、以致天下太平」や『唐紀』の「作治康凱安之舞」から採られています。
康安地震とはどのようなものですか?
康安元年6月24日に発生した地震で、『太平記』にも記録されています。現代の研究では南海トラフを震源とする巨大地震であったと推定されています。
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参考文献
- 『太平記』巻36
- 『史記正義』
- 『唐紀』