日本の元号

康永 (日本の元号)

日本の南北朝時代における北朝の元号の一つである「康永」についての詳細な歴史的解説。改元理由や主な出来事、西暦との対照表を網羅。

📌 主なポイント

  • 康永は日本の南北朝時代における北朝の元号の一つである。
  • 使用期間は1342年から1345年までで、前官は暦応、次官は貞和である。
  • 元号の由来は『漢書』の「海内康平、永保国家」に基づく。
  • 康永元年に土岐頼遠が光厳上皇の輿に矢を射る事件が起き、同年12月に処刑された。

康永(こうえい)は、日本の南北朝時代の元号の一つである。室町時代の武家政権である室町幕府の支配下にあった北朝方にて使用された。前官の暦応のあとを受け、貞和の前に位置する。使用された期間は1342年から1345年までの間であり、当時の北朝方の天皇は光明天皇、南朝方の天皇は後村上天皇であり、室町幕府の初代将軍は足利尊氏であった。

改元と由来

暦応5年4月27日(ユリウス暦1342年6月1日)、当時発生していた天変地異や疫病の流行を理由として改元が行われた。その後、康永4年10月21日(ユリウス暦1345年11月15日)に貞和へと改元された。

元号の出典は、古代中国の歴史書である『漢書』の一節「海内康平、永保国家」に由来しているとされている。

康永期の主な出来事

康永年間には、南北朝の動乱に関連する重要な事件や人物の動静が記録されている。

  • 1342年(康永元年)
    • 5月:南朝方の懐良親王が薩摩国(現在の鹿児島県)に到着したとされる。
    • 6月:脇屋義助が死去。
    • 9月:京都において、土岐頼遠が光厳上皇の輿(乗物)に対して矢を射るという不敬事件が発生した。これを受け、同年12月に土岐頼遠は処刑され、同月に死去となった。
  • 1343年(康永2年)
    • 4月:南朝方の北畠親房が拠点としていた常陸国(現在の茨城県)の関城が高師冬の攻撃によって陥落し、北畠親房は吉野へ逃れた。

西暦との対照表

康永年間における北朝の元号と、南朝の元号(興国)、およびユリウス暦との対照は以下の通りである。なお、※印は小の月を示す。

康永元年(壬午)一月二月※三月四月※五月六月※七月八月九月※十月十一月十二月※
興国三年1342/2/63/84/65/66/47/48/29/110/110/3011/2912/29
康永二年(癸未)一月※二月三月※四月※五月六月※七月八月九月※十月十一月十二月※
興国四年1343/1/272/253/274/255/246/237/228/219/2010/1911/1812/18
康永三年(甲申)一月二月閏二月※三月※四月※五月六月※七月八月※九月十月十一月十二月※
興国五年1344/1/162/153/164/145/136/117/118/99/810/711/612/61345/1/5
康永四年(乙酉)一月二月※三月四月※五月※六月七月※八月九月※十月十一月十二月
興国六年1345/2/33/54/35/36/16/307/308/289/2710/2611/2512/25

よくある質問

康永とはどの時代の元号ですか?
日本の南北朝時代において、室町幕府が奉じた北朝方で使用された元号です。
康永の期間は何年から何年までですか?
1342年から1345年までの期間を指します。
康永の元号の由来は何ですか?
中国の歴史書である『漢書』の「海内康平、永保国家」という一節に由来しています。

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参考文献

漢書 / 日本史料・元号一覧