日本の元号

康元 (元号)

康元(こうげん)は、日本の元号の一つ。建長の後、正嘉の前の期間を指し、1256年から1257年まで使用されました。

📌 主なポイント

  • 康元は1256年から1257年まで使用された日本の元号である。
  • 改元の背景には赤斑瘡の流行があったと『百錬抄』に記録されている。
  • 康元2年3月14日に正嘉へ改元された。
  • 当時の執権は北条時頼から北条長時へと交代した。

康元(こうげん)は、日本の元号の一つ。建長の後、正嘉の前の期間を指す。使用期間は1256年から1257年まで。

改元

建長8年10月5日(ユリウス暦1256年10月24日)、改元が行われた。改元の理由については、当時流行した赤斑瘡(あかもがさ)によるものという説が『百錬抄』に記されている。その後、康元2年3月14日(ユリウス暦1257年3月31日)に正嘉へ改元された。

典拠

康元の典拠については諸説あるが、明確な出典は不明とされることが多い。『日本年号大観』などの資料では典拠記載不明として扱われている。一方で、関連する語句として『隋書』巻十五の音楽志に見える「康哉元首、惠我無疆、天長地久」などが挙げられることがある。

康元期の出来事

康元元年11月23日(ユリウス暦1256年12月11日)、鎌倉幕府の執権であった北条時頼が最明寺で出家した。これに伴い、北条長時が第6代執権に就任した。

よくある質問

康元はいつからいつまで続きましたか?
1256年10月24日から1257年3月31日まで使用されました。
康元に改元された理由は何ですか?
『百錬抄』によると、当時流行していた赤斑瘡(あかもがさ)が改元の理由の一つとされています。
康元期の執権は誰ですか?
北条時頼が執権を務めていましたが、1256年に出家し、北条長時が第6代執権となりました。

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建長正嘉鎌倉幕府北条時頼

参考文献

  • 川口謙二、池田政弘『元号事典』(改訂新版)東京美術、1989年。
  • 森本角蔵『日本年号大観』(覆刻版)講談社、1983年。
  • 白河市史編さん委員会編『白河市史』上、白河市教育委員会、1968年。
  • 『隋書』巻十五(ウィキソース)