中国史
貢士:中国の歴史における官僚登用試験と称号の変遷
中国の歴史における人材登用称号「貢士」について、周代から明・清代に至るまでの意味の変遷や科挙制度における位置づけを解説します。
📌 主なポイント
- ✓貢士は中国の歴史における人材登用や官僚任用に関する称号である。
- ✓明・清代においては、中央試験である会試に合格した者が貢士と呼ばれた。
- ✓北宋以降の慣例では、会試に合格した貢士は殿試で落第することがなく、実質的に進士と称された。
貢士(こうし、満洲語:ᠰᠣᠨᠵᠣᠰᡳ、sonjosi)は、中国の歴史における人材登用や官僚任用に関する称号の一つである。時代や制度によってその概念や役割は大きく異なっている。
時代ごとの概念の変遷
周代においては、諸侯が天子に対して才能ある士を推薦した制度、またはその推薦された人物のことを指していた。その後、漢代になると、封国や郡県が朝廷へ推挙した「孝廉」と呼ばれる人材を指す言葉となった。
唐代および宋代に入ると、地方の州や府で行われた試験自体を「郷貢(きょうこう)」と呼び、その合格者のことは「郷貢士」と称された。
明・清代における会試と貢士
明代および清代になると、貢士の定義は明確に固定され、首都で行われる中央試験である「会試」に合格した者を指すようになった。
明・清代の会試における成績優秀者にはそれぞれ特別な呼称が設けられており、貢士の中で第一等の者は「会元」、上位10位までの者は「元魁」、11位から20位までの者は「会魁」と称された。
殿試と進士への道
会試に合格した貢士は、最終的に皇帝が自ら試験を行う「殿試(でんし)」に臨み、そこで最終的な順位が決定されて「進士」となった。もっとも、北宋の時代からは殿試において貢士を落第させないことが慣例となっていったため、実質的には会試に合格した時点で進士とみなされることが一般的であった。
よくある質問
貢士とは何ですか?
中国の歴史において人材登用に関する称号の一つであり、時代によって諸侯からの推薦者や地方試験の合格者、明・清代における会試の合格者を指しました。
明・清代の貢士はどのような試験の合格者ですか?
首都で行われた中央試験である「会試」に合格した者が貢士と呼ばれました。
貢士の試験における順位称号にはどのようなものがありますか?
第一等の者は「会元」、10位までの者は「元魁」、11位から20位までの者は「会魁」と称されました。
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参考文献
宮崎市定『科挙』(中央公論社、1963年)