教育史

旧制高等師範学校の歴史と教育制度

旧制高等師範学校の歴史と教育制度
日本の明治時代中期から連合国軍占領期にかけて存在した官立の中等学校教員養成機関「高等師範学校」の歴史、制度、沿革について詳しく解説します。

📌 主なポイント

  • 高等師範学校は1886年(明治19年)の師範学校令により制度化された。
  • 主な目的は尋常師範学校や中学校、高等女学校などの中等学校の教員養成であった。
  • 一般に「高師」と略され、戦後は多くの新制国立大学の教育学部の母体となった。

高等師範学校(こうとうしはんがっこう)は、日本の旧学制下において中等学校および府県立師範学校の教員を養成するために設置された官立の教員養成機関である。一般には「高師(こうし)」と略称された。

概要

1886年(明治19年)に公布された師範学校令によって制度化された。当初は東京に一校のみが置かれ、主に尋常師範学校の校長や教員の養成を目的としていたが、その後の法令改正により、尋常中学校や高等女学校といった中等学校全般の教員養成へとその役割が拡大された。第二次世界大戦終戦までに複数の高等師範学校が設置され、戦後は新制国立大学の教育学部などの母体となった。

沿革と制度の展開

学校制度としての起源は、1875年(明治8年)に東京師範学校内に設置された「中学師範学科」に遡る。当時、学制が制定されたものの大学未設置の状況下で中学校教員の需要が高まったため、同学科が置かれて中等教員養成の基礎が築かれた。

初代文部大臣であった森有礼の下、1886年4月の師範学校令によって「高等師範学校」として正式に制度化され、東京師範学校がこれに充てられた。男子師範学科では厳格な入学資格や修業年限が定められたほか、卒業後の長期間にわたる教職服務義務が課され、政府の強い統制下で運営された。

その後、1897年(明治30年)公布の師範教育令を経て、中等学校の拡大に対応する形で学科課程や分科が整備されていった。明治期から大正期にかけては、帝国議会においてその存在意義や経費負担のあり方が度々議論の対象となったが、日本の近代中等教育を支える指導的教員を輩出する機関として重要な役割を果たし続けた。

よくある質問

高等師範学校とはどのような学校ですか?
日本の旧学制下において、中等学校や師範学校の教員を養成するために設置された官立の高等教育機関です。
高等師範学校の起源は何ですか?
1875年(明治8年)に東京師範学校内に設置された中学校教員養成課程である「中学師範学科」に遡ります。
戦後の高等師範学校はどうなりましたか?
学制改革を経て、おおむね新制国立大学の教育学部などの母体となりました。

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参考文献

安部磯雄編『帝国議会教育議事総覧 自第一議会至第十二議会』厚生閣、1932年。