高等学校令(旧制)

📌 主なポイント
- ✓第一次高等学校令は1894年に制定され、高等中学校を高等学校へ改組した。
- ✓第二次高等学校令は1918年に制定され、高等教育の拡充と帝国大学への接続を強化した。
- ✓1947年の学校教育法施行に伴い、高等学校令は廃止された。
高等学校令は、近代日本において旧制高等学校の設置および運営の根拠となった勅令である。歴史上、1894年(明治27年)に制定された「第一次高等学校令」と、1918年(大正7年)に制定された「第二次高等学校令」の2つが存在する。

第一次高等学校令
1894年(明治27年)6月25日に公布、同年9月11日に施行された第一次高等学校令(明治27年勅令第75号)は、当時の文部大臣・井上毅の主導により制定された。その主な目的は、中学校令に基づき設立されていた高等中学校を高等学校へと改組することにあった。
この令に基づき、第一から第五までの高等中学校が高等学校へと改編された。令では高等学校を専門学科を教授する機関と位置づけ、帝国大学への入学準備機関としての予科を併設することが認められていた。実際には専門学科よりも予科が教育の主体となり、後の「ナンバースクール」へと発展していく基礎が築かれた。
第二次高等学校令
1918年(大正7年)12月6日に公布、1919年(大正8年)4月1日に施行された第二次高等学校令(大正7年勅令第389号)は、第一次高等学校令を廃止して制定された。この令は、臨時教育会議の答申を受けて高等教育の拡充を図ることを目的としていた。
第二次高等学校令では、高等学校を「男子の高等普通教育を完成する」機関と位置づけた。修業年限は原則として7年(尋常科4年、高等科3年)とされたが、官立高等学校の多くは高等科のみの3年制課程を採用した。卒業生の多くが帝国大学へ進学したため、実質的には帝国大学の予科としての機能を果たした。
戦時下の改正と廃止
第二次高等学校令は、戦時体制下で度重なる改正を受けた。1943年(昭和18年)には修業年限の短縮や教育目的の変更が行われ、1947年(昭和22年)には男女共学化の法的根拠が盛り込まれた。最終的に、1947年4月1日に施行された学校教育法により廃止され、旧制高等学校の多くは新制大学の教養学部等へと移行した。
よくある質問
第一次と第二次高等学校令の主な違いは何ですか?
旧制高等学校の主な役割は何でしたか?
高等学校令はいつ廃止されましたか?
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参考文献
- 井上毅「高等中学校ヲ高等学校トナシタル理由」(1895年)
- 文部省編集・監修『学制百年史』(1981年、帝国地方行政学会)
- 『官報』各号(昭和16年、18年、21年、22年)