日本の元号
弘和 (元号)
弘和(こうわ)は、日本の南北朝時代に南朝で使用された元号の一つです。1381年から1384年までの期間を指し、天授の後、元中の前にあたります。
📌 主なポイント
- ✓弘和は南北朝時代の南朝で使用された元号である。
- ✓期間は1381年から1384年までである。
- ✓出典は『書経』君牙篇の「弘敷五典、式和民則」とされるが、詳細は不詳である。
- ✓弘和3年に長慶天皇から後亀山天皇へ譲位が行われた。
弘和(こうわ)は、日本の南北朝時代に南朝方で使用された元号の一つである。天授の後、元中の前にあたり、1381年から1384年までの期間を指す。
改元
天授7年2月10日(ユリウス暦1381年3月6日)、辛酉革命に当たるため改元された。ただし、『南朝編年記略』では同年2月14日(ユリウス暦3月10日)とする説もある。史料上の初出は、『金剛寺文書』および『河合寺文書』に収められた弘和元年6月21日付の長慶天皇による綸旨である。
その後、弘和4年4月28日(ユリウス暦1384年5月18日)に元中へと改元された。
出典
元号の出典および勘申者は不詳である。『書経』君牙篇にある「弘敷五典、式和民則」の語句から採られたとされる。
弘和年間の主な動向
この時期の南朝は、長慶天皇および後亀山天皇の治世下にあった。北朝では後円融天皇から後小松天皇へと代わり、室町幕府の将軍は足利義満が務めていた。
弘和年間には、南朝方にとって重要な文化的・政治的出来事が見られた。弘和元年(1381年)には、宗良親王の私撰和歌集である『新葉和歌集』が勅撰に准ぜられ、長慶天皇に奏進された。また、この冬には長慶天皇が『仙源抄』を著している。弘和3年(1383年)には、長慶天皇が譲位し、東宮熙成親王(後亀山天皇)が践祚した。
西暦との対照表
| 弘和 | 西暦 | 干支 |
|---|---|---|
| 元年 | 1381年 | 辛酉 |
| 二年 | 1382年 | 壬戌 |
| 三年 | 1383年 | 癸亥 |
| 四年 | 1384年 | 甲子 |
よくある質問
弘和は何時代の元号ですか?
日本の南北朝時代に、南朝方で使用された元号です。
弘和の期間はいつからいつまでですか?
1381年から1384年までの期間です。
弘和の次の元号は何ですか?
南朝方の次の元号は元中です。
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参考文献
- 『南朝公卿補任』
- 『続史愚抄』
- 『金剛寺文書』
- 『河合寺文書』