日本の廃止市町村

茨城県にかつて存在した自治体 茎崎町の歴史と概要

茨城県にかつて存在した自治体 茎崎町の歴史と概要
茨城県南部に位置し、つくば市への編入合併によって廃止された旧・茎崎町の歴史、地理、人口動態や産業について解説します。

📌 主なポイント

  • 茎崎町は茨城県南部の稲敷郡に属していた自治体で、2002年11月1日につくば市へ編入合併された。
  • 1889年の町村制施行により茎崎村として発足し、1983年に町制を施行した。
  • 筑波研究学園都市の開発やベッドタウン化に伴い、1970年代から1980年代にかけて急激な人口増加を記録した。

茎崎町(くきざきまち)は、かつて茨城県南部の稲敷郡に属していた町である。東京都特別区部への通勤圏に含まれるベッドタウンとして発展し、筑波研究学園都市の一部を構成していたが、2002年11月1日に隣接するつくば市へ編入合併され、自治体としては消滅した。

地理

茨城県の南部に位置し、東京特別区から約50キロメートル圏内にあった。町の東側や南側には小野川や稲荷川、東谷田川、西谷田川などの河川が流れ、低地と台地が入り組む地形を形成していた。台地部では農地や森林が広がり、平坦な地形を生かした都市近郊農業が行われていた。

歴史

1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、小茎村、高崎村、上岩崎村、下岩崎村など11の村が合併して河内郡茎崎村が成立した。1896年には郡の統廃合により稲敷郡に属することになった。村制施行後長らく純農村地帯であったが、昭和後期以降に筑波研究学園都市の開発や東京圏の宅地需要の高まりを受けて大規模なニュータウン開発が急速に進展した。

人口の急増に伴い単独町制の条件を満たし、1983年(昭和58年)1月1日に町制を施行して茎崎町となった。町制施行後も人口は増加傾向を示したが、2000年代に入ると頭打ちとなり、周辺自治体との合併協議が進められた。

茎崎町内に位置する守徳寺の景観
守徳寺

人口動態

高度経済成長期以降の住宅開発により、人口は劇的な増加を記録した。1970年の国勢調査時点では約6,400人であった人口が、宅地造成が活発化した1975年前後には爆発的な伸びを示し、一時は全国有数の人口増加率を記録した。1995年の国勢調査では26,315人に達し、若い世代の流入によって平均年齢が低い活気ある自治体として知られた。

経済と産業

かつては純農村であり稲作や畑作が中心であったが、宅地化の進行に伴い農地や農家戸数は減少した。一方で、野菜栽培が盛んであり、ネギなどが銘柄産地に指定されていた。また、常磐自動車道などの交通網整備が進むにつれて工業団地や企業の研究所が進出し、中小企業を中心とした第二次産業も立地するようになった。

つくば市への編入合併

1987年以降、筑波研究学園都市周辺の自治体との間で合併に関する協議が続けられた。長期にわたる協議や凍結期間を経て、2001年11月に合併協定が調印され、2002年11月1日に茎崎町はつくば市へ編入合併された。これにより、稲敷郡に属していた茎崎町は消滅し、その区域は現在のつくば市の一部となっている。

よくある質問

茎崎町が廃止された理由は何ですか?
2002年11月1日につくば市へ編入合併されたため、自治体として廃止されました。
茎崎町の名前の由来は何ですか?
1889年の町村制施行時に合併した小茎村、高崎村、上岩崎村、下岩崎村の主要4村から一字ずつ取った合成地名です。
茎崎町はどの都道府県にありましたか?
茨城県の南部に位置し、当時は稲敷郡に属していました。

関連記事

つくば市牛久市龍ケ崎市筑波研究学園都市茨城県の廃止市町村一覧

参考文献

  • つくば市・茎崎町の合併「第1章新市のすがた p12」
  • 茎崎町「町長あいさつ」
  • 茎崎町「地勢と位置」
  • 茎崎誕生100周年記念町勢要覧