日本の俳優
桑野通子:昭和初期に活躍した映画女優

昭和初期の日本映画界でモダンな美しさとプロポーションで人気を博した女優、桑野通子の生涯と出演作品を紹介します。
📌 主なポイント
- ✓1915年1月4日生まれ、1946年4月1日没(31歳)。
- ✓森永製菓の「スイートガール」として活動後、松竹で映画女優としてデビューした。
- ✓小津安二郎監督作品など、戦前の日本映画を代表する名作に多数出演した。
- ✓娘は元女優の桑野みゆきである。
桑野通子(1915年1月4日 - 1946年4月1日)は、昭和初期の日本映画界で活躍した女優である。本名は桑野通。スラリとした容姿とモダンな雰囲気で人気を集め、高峰三枝子や三宅邦子らと共に戦前の若手スターとして知られた。

経歴
東京市芝区三島町(現・東京都港区)に生まれる。1932年に三田高等女学校を卒業後、森永製菓に入社。同社の販売促進スタッフである「スイートガール」として全国の百貨店や直営店を巡り、接客や宣伝活動に従事した。1934年、ダンスホールでの活動中にスカウトされ松竹に入社。同年公開の『金環蝕』で映画デビューを果たした。

1935年には上原謙と共演し、「アイアイコンビ」として人気を博した。その後、小津安二郎、清水宏、島津保次郎といった当時の名監督の作品に数多く出演し、銀幕のスターとしての地位を確立した。

私生活と最期
1942年、斎藤芳太郎との間に長女・桑野みゆきをもうけた。1946年、溝口健二監督の『女性の勝利』の撮影中、大船撮影所で倒れ、子宮外妊娠による出血多量のため31歳で急逝した。


主な出演作品
- 金環蝕(1934年)
- 有りがたうさん(1936年)
- 淑女は何を忘れたか(1937年)
- 戸田家の兄妹(1941年)
- 女性の勝利(1946年)
よくある質問
桑野通子はどのような経緯で女優になりましたか?
森永製菓の販売促進スタッフ「スイートガール」として活動していた際、ダンスホールでスカウトされ、1934年に松竹へ入社しました。
桑野通子の代表的な出演作は何ですか?
小津安二郎監督の『淑女は何を忘れたか』や『戸田家の兄妹』、清水宏監督の『有りがたうさん』などが知られています。
桑野通子の死因は何ですか?
1946年、映画『女性の勝利』の撮影中に倒れ、子宮外妊娠による出血多量のため急逝しました。
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参考文献
- 『女性自身』昭和41年3月14日号「私生児だった桑野みゆきの苦悩と決意」
- 上原謙「がんばってます 人生はフルムーン」134頁(共同通信社)