京都学派:哲学から諸学問における展開と歴史的文脈

📌 主なポイント
- ✓京都学派の哲学は、西田幾多郎や田邊元を中心に西洋哲学と東洋思想の融合を目指して形成された。
- ✓近代経済学の京都学派は、高田保馬、柴田敬、青山秀夫の3人の教授を中心に論じられる。
- ✓東洋史学においては、内藤湖南や宮﨑市定らによって「唐宋変革論」が提唱された。
京都学派(きょうとがくは)とは、一般に西田幾多郎と田邊元、および彼らに師事した哲学者たちが形成した日本の哲学の学派を指す。しかし、広義には京都大学人文科学研究所を中心とした学際的な研究グループや、近代経済学、東洋史学、憲法学、精神医学など、京都大学を基盤あるいは中心として展開された多様な学術的潮流の総称としても用いられる。
哲学における京都学派
哲学分野における京都学派は、西田幾多郎の『善の研究』に代表される、西洋哲学と東洋思想の融合を模索する立場から始まった。東洋でありながら近代化を推し進めた日本において、西洋哲学を単に受容するのではなく、その内面的な統合を図る試みがなされた。
主な参加者としては、西田幾多郎や田邊元のほか、波多野精一、朝永三十郎、和辻哲郎、三木清、西谷啓治、久松真一、武内義範、土井虎賀壽、下村寅太郎、上田閑照、大橋良介らが挙げられる。また、三木清のほか、戸坂潤、中井正一、久野収らは「京都学派左派」として位置づけられることがある。
太平洋戦争中には、西谷啓治・高坂正顕・高山岩男・鈴木成高らの「京都学派四天王」が「世界史の哲学」や「近代の超克」を提唱し、海軍などの動向と関わりを持つに至った。戦後、これらの言動や政治との関わりは様々な評価や批判の対象となった。
近代経済学の京都学派
戦前の日本において国際的な評価を受けた理論経済学者である柴田敬を中心に、その師であり一般均衡理論を展開した高田保馬、および高田門下で戦後の経済学者を育てた青山秀夫の3人の京都帝国大学教授を指して、経済学における京都学派と呼ぶ見解が東大の根岸隆らによって示されている。
柴田敬は、ハーバード大学やロンドンに留学し、ヨーゼフ・シュンペーターやジョン・メイナード・ケインズからも高い評価を受けた。帰国後は新体制運動の経済理論上の指導者の一人となり、戦後に公職追放を経験したが、その理論は後に再評価が進められている。
京都大学人文科学研究所(京大人文研)
戦後の京都大学人文科学研究所(京大人文研)において、共同研究会を活発に行った一派も「京都学派」と呼ばれることがあるが、哲学の京都学派とは直接の組織的連続性はない。東洋史学の貝塚茂樹、塚本善隆、藤枝晃、中国文学の吉川幸次郎、フランス文学の桑原武夫、植物学の中尾佐助、生態学・人類学の今西錦司らが参加し、人文科学から自然科学にまたがる学際的な共同研究を展開した。
東洋史学の京都学派
京都帝国大学の内藤湖南、桑原隲蔵、羽田亨を創始者とする東洋史学の一派である。狩野直喜や矢野仁一、さらにその門下である宮﨑市定らが加わり、中国史における時代区分論である「唐宋変革論」を提唱・発展させた。戦後には、東京大学を中心とする研究者グループ(東京学派)との間で激しい時代区分論争が繰り広げられた。
その他の学問分野における展開
憲法学においては、佐々木惣一や大石義雄、阿部照哉、佐藤幸治らが中心となり、法律学的解釈を重視する学派を形成した。また精神医学においては、今村新吉や村上仁らによって哲学的精神病理学の伝統が築かれ、木村敏などの研究者へと継承された。
よくある質問
京都学派の哲学とはどのようなものですか?
近代経済学における京都学派とは誰を指しますか?
東洋史学の京都学派の主な業績は何ですか?
関連記事
参考文献
- 竹田篤司『物語「京都学派」-知識人たちの友情と葛藤』中央公論新社、2001年。
- 大橋良介編『京都学派の思想-種々の像と思想のポテンシャル』人文書院、2004年。
- 宮﨑市定『東洋的近世』中公文庫、1999年。