日本の元号

享徳 (元号)

享徳(きょうとく)は、室町時代の日本の元号の一つ。1452年から1455年まで使用され、享徳の乱の勃発と重なる時期にあたります。

📌 主なポイント

  • 享徳は1452年から1455年まで使用された日本の元号である。
  • 改元は一条兼良の意向により、三合の厄を避ける目的で行われた。
  • 古河公方・足利成氏は康正への改元を拒否し、関東地方ではその後も享徳の年号が長期間使用された。
  • 享徳3年(1454年)に奥州で大津波を伴う地震が発生した。

享徳(きょうとく)は、日本の元号の一つ。宝徳の後、康正の前にあたり、1452年から1455年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇、室町幕府将軍は足利義政であった。

改元

宝徳4年7月25日(ユリウス暦1452年8月10日)、三合の厄を避けるために改元が行われた。この改元は、当時の関白であった一条兼良の強い意向が反映されたものとされている。

享徳の乱と改元

享徳4年7月25日(ユリウス暦1455年9月6日)に康正へ改元されたが、当時室町幕府から追討を受けていた古河公方・足利成氏は、この改元を認めなかった。そのため、関東の広い地域ではその後も「享徳」の年号が使用され続け、文明10年(1478年)に相当する「享徳27年」まで用いられた。この事態は享徳の乱の過程で発生したものであり、東国における改元の受容をめぐっては、京都の室町幕府への抵抗とする説や、幕府が関東管領上杉氏のみに改元詔書を下したことによる手続き上の問題とする説など、歴史学的な議論が存在する。

享徳期の出来事

享徳3年(1454年)12月27日には、奥州で大津波を伴う地震(享徳地震)が発生した。この地震は、同時期に勃発した享徳の乱の発生やその後の情勢に影響を与えた可能性が指摘されている。

よくある質問

享徳の元号はいつまで使用されましたか?
朝廷の公式な元号としては1455年(享徳4年)までですが、関東地方の古河公方勢力下では、その後も独自に享徳の年号が使用され続け、文明10年(1478年)に相当する「享徳27年」まで用いられました。
享徳の乱と改元の関係は何ですか?
足利成氏が幕府の改元(康正への改元)を拒否したことで、関東において独自の年号使用が継続されました。これは幕府の権威に対する抵抗の象徴と見なされています。

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室町時代享徳の乱足利義政後花園天皇古河公方

参考文献

  • 久水俊和「改元をめぐる公家と武家」(『室町期の朝廷公事と公武関係』岩田書院、2011年)
  • 佐藤博信「足利成氏とその時代」(『古河公方足利氏の研究』所収)
  • 峰岸純夫「封建時代の年号と天皇」(『転換期の歴史学』所収)
  • 石橋克彦「1454(享徳三)年に奥州に大津波をもたらした地震について」(『歴史地震』第30号、2015年)