教育ニ関スル勅語の歴史と背景

📌 主なポイント
- ✓教育ニ関スル勅語は1890年(明治23年)10月30日に下された。
- ✓起草には井上毅や元田永孚らが深く関与した。
- ✓全文は315字で構成されている。
- ✓1948年(昭和23年)6月19日の国会決議によって、その失効が確認された。
教育ニ関スル勅語(きょういくにかんするちょくご、旧字体: 敎育ニ關スル敕語、一般には教育勅語として知られる)は、1890年(明治23年)10月30日に明治天皇の名において下された、近代日本の教育の基本方針を示す勅語である。
制定の経緯
明治初期の学制公布当初は、個人の知識や技術の習得が重視されていたが、自由民権運動の高まりや欧化政策に対する反発を背景として、伝統主義的・儒教主義的な道徳教育の強化を求める動きが強まった。1879年(明治12年)の「教学聖旨」や1882年(明治15年)の「幼学綱要」といった前身的な試み帳を経て、国家的な道徳基準の確立が模索された。
直接の契機となったのは、1890年2月に開催された地方館会議において、第1次山縣内閣に対して徳育原則の確立を求める建議が行われたことである。これを受け、法制局長官であった井上毅や枢密顧問官の元田永孚らが中心となり、宗派的な色合いを排した起草作業が進められた。最終的に、同年10月30日に公布され、翌31日付の官報などで広く公開された。
内容と構造
全文は315字からなり、主に3つの部分で構成されている。前半では、日本古来の伝統に基づく道徳の淵源を示し、中盤では父母への孝行や兄弟の和合、夫婦の和合、友人の信義など、国民が守るべき徳目を列挙している。後半では、国家の危機に際して義勇を公に奉じ、皇室の繁栄を支えるべきことを説いている。
歴史的変遷と失効
頒布以降、教育勅語は全国の学校で奉読され、国民道徳の絶対的基準および教育活動の最高原理として大きな権威を持った。しかし、第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法の下において、その扱いは大きな転換点を迎えた。
新憲法の最高法規性(第98条)や、民主平和国家・主権在民の理念を掲げる教育基本法の制定を受け、1948年(昭和23年)6月19日、衆議院および参議院において「教育勅語等の失効確認に関する決議」および「教育勅語等排除に関する決議」がなされた。これにより、教育勅語は既にその効力を失っていることが公式に確認された。
よくある質問
教育ニ関スル勅語はいつ発布されましたか?
教育勅語は誰によって起草されましたか?
教育勅語はどのようにして効力を失いましたか?
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参考文献
- 国立公文書館 「明治23年(1890)10月 教育に関する勅語が発せられる」
- 大蔵省印刷局 [編]『官報』1890年10月31日
- 衆議院・参議院 第2回国会決議(教育勅語等の失効確認に関する決議)