日本の元号
享和
享和(きょうわ)は、日本の元号の一つ。1801年から1804年までの期間を指し、光格天皇の御代、江戸幕府第11代将軍徳川家斉の治世下における時代です。
📌 主なポイント
- ✓享和は1801年から1804年まで続いた日本の元号である。
- ✓改元は辛酉革命に基づき、寛政13年に行われた。
- ✓出典は『文選』の一節である。
享和(きょうわ)は、日本の元号の一つ。寛政の後、文化の前にあたり、1801年から1804年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、江戸幕府将軍は徳川家斉であった。
改元
寛政13年2月5日(グレゴリオ暦1801年3月19日)、辛酉革命(しんゆうかくめい)の年に当たるため改元が行われた。辛酉革命に基づく改元は、当時の朝廷と幕府の間で恒例となっており、平穏のうちに決定が進められた。
その後、享和4年2月11日(グレゴリオ暦1804年3月22日)に文化へと改元された。
由来
元号の出典は、『文選』の「順乎天而享其運、応乎人而和其義」から採られた。
享和年間の主な出来事
- 1801年(享和元年):富山元十郎らが得撫島に「天長地久大日本七属島」の標柱を建立した。
- 1802年(享和2年):江戸幕府が蝦夷奉行(後の箱館奉行)を設置した。
- 1802年(享和2年):十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』の初刷りが開始された。
主な人物の動向
享和年間には、江戸後期の文化や学問を支えた多くの人物が誕生し、また逝去した。
誕生
- 川路聖謨(1801年)
- 江川英龍(1801年)
- 椿椿山(1801年)
- 伏見宮邦家親王(1802年)
- 伊藤圭介(1803年)
逝去
- 本居宣長(1801年)
- 前野良沢(1803年)
- 高橋至時(1804年)
よくある質問
享和の元号はいつからいつまでですか?
1801年から1804年までの期間です。
享和という元号の由来は何ですか?
『文選』にある「順乎天而享其運、応乎人而和其義」という一節から採用されました。
なぜ寛政13年に改元されたのですか?
辛酉革命(しんゆうかくめい)の年に当たるため、慣例に従って改元が行われました。
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参考文献
久保貴子『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年)