日本の元号
久寿(日本歴史の元号)
日本の元号である久寿(1154年〜1156年)についての歴史、改元の背景、典拠および当時起きた出来事について解説する百科事典記事。
📌 主なポイント
- ✓久寿は日本の元号の一つで、1154年から1156年までの期間に該当する。
- ✓元号の典拠は中国の書物『抱朴子』の一節である。
- ✓久寿元年8月10日には、越中国新川郡新治村が海嘯により陥没する災害が発生した。
- ✓久寿の次の元号は保元である。
久寿(きゅうじゅ、旧字体: 久壽)は、日本の元号の一つ。仁平の後、保元の前。1154年から1156年までの期間を指す。この時代の天皇は近衛天皇および後白河天皇である。
改元と由来
仁平4年10月28日(ユリウス暦1154年12月4日)、厄運を理由に改元が行われ「久寿」が定められた。その後、久寿3年4月27日(ユリウス暦1156年5月18日)に保元へと改元された。
元号の典拠は、中国の書物である『抱朴子』の記述「其業在於全身久寿」に由来している。なお、前の元号である「仁平」が定められた際にも最終候補の一つに挙がっていたが、当時は採用されなかった。
次の年号を決定する際、最終案として挙がっていた「天保」について、当時の左大臣であった藤原頼長が「天保」の文字を「一大人只十(付き従う臣民がたった10人)」と読み解き、縁起が悪いとして猛反対したため急遽取りやめとなった。その結果、代わって「久寿」が新元号として定められた経緯を持つ。
久寿期におきた出来事
- 久寿元年(1154年)8月10日:越中国新川郡新治村が海嘯(津波や高潮など)のため陥没したと伝えられている。
よくある質問
久寿とはどのような元号ですか?
日本の平安時代にあたる1154年から1156年までの期間を指す元号です。仁平の後、保元の前に位置します。
久寿の元号の由来は何ですか?
中国の書物である『抱朴子』の「其業在於全身久寿」という一節から採られています。
久寿の期間中にはどのような天皇が在位していましたか?
近衛天皇および後白河天皇が在位していました。
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参考文献
『抱朴子』、および各種日本歴史年表・史料に基づく。