鉄道技術

超電導リニア実験線の歴史と技術検証施設

超電導リニア実験線の歴史と技術検証施設
日本における超電導リニアの技術開発を支えてきた宮崎実験線および山梨実験線の歴史、構造、走行試験の変遷について解説する百科事典記事。

📌 主なポイント

  • 宮崎実験線は1977年に開設され、1979年にML500により無人速度記録517 km/hを達成した。
  • 宮崎実験線でのリニア走行試験は1996年に終了し、その後は太陽光発電所や大学の共同研究施設などに活用されている。
  • 山梨実験線は実用化に向けたトンネルや勾配区間を備え、最終的に総延長42.8kmの区間で走行試験が行われている。

リニア実験線(リニアじっけんせん)は、日本における磁気浮上式鉄道(超電導リニア)の技術開発と実用化を目的として建設された実験用線路である。鉄道総合技術研究所(鉄道総研)および東海旅客鉄道(JR東海)などの関係機関によって主導され、これまでに宮崎県と山梨県に専用の実験施設が設置された。

宮崎実験線の開設と走行試験

国鉄時代の1974年に建設が決定され、1977年に開設された宮崎実験線は、日本で初めて本格的な磁気浮上式鉄道の実験線として日向市から都農町にかけての区間(総延長7.0 km)に整備された。当初は逆T字形のガイドウェイを採用してML500などによる無人走行試験が行われ、1979年には当時の最高速度記録となる517 km/hを達成した。

その後、乗車スペースの確保と有人走行の実現を目的として、ガイドウェイはU字形へと改良された。MLU001やMLU002といった試験車両が導入され、有人走行によるデータ収集が進められた。1991年には車両火災事故が発生したものの、その教訓をもとに改良されたMLU002Nが導入され、1995年には宮崎実験線における有人運転での最高速度411 km/hを記録した。

宮崎実験線の転用と現在

宮崎実験線は直線区間が中心であり、トンネルや急勾配、長距離の耐久試験といった実用化に向けた多様な条件を備えていなかったため、1996年をもってリニア走行試験は終了した。その後、敷地の一部や施設は多様な研究や事業に活用されている。東北大学などによる「エアロトレイン」の走行試験が行われたほか、国際航業グループによる太陽光発電所(メガソーラー)の設置などが行われている。

山梨実験線の建設と中央新幹線への展開

宮崎実験線に代わる新たな大規模実験施設として、山梨県に建設されたのが山梨実験線である。1980年代後半からの検討を経て計画が進められ、500 km/hでの十分な走行時間や、トンネル・勾配区間などの実環境を想定した試験が可能な総延長数直線区間として整備された。先行区間での試験を経て延伸工事が行われ、最終的に総延長42.8kmの区間が完成した。山梨実験線で得られた膨大な走行データや技術的成果は、2035年の開業を見据える中央新幹線の一部としても活用される計画となっている。

よくある質問

リニア実験線はどこに建設されましたか?
これまでに宮崎県(宮崎実験線)と山梨県(山梨実験線)の2箇所に建設されました。
宮崎実験線での最高速度記録は何km/hですか?
1979年にML500が無人運転で記録した517 km/hが、宮崎実験線における最高速度記録です。
宮崎実験線のリニア走行試験終了後、跡地はどう利用されていますか?
エアロトレインの走行試験や、メガソーラーによる太陽光発電所、マグネシウム電池に関する実証実験などに利用されています。

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超電導リニア中央新幹線鉄道総合技術研究所東海旅客鉄道

参考文献

  • 『超電導リニアモーターカー』鉄道総合技術研究所
  • 『疾走する超電導 リニア五五〇キロの軌跡』
  • 交通新聞各種報道