マハティール・ビン・モハマド:マレーシアの近代化を牽引した指導者

📌 主なポイント
- ✓マハティール・ビン・モハマドはマレーシアの第4代および第7代首相を務めた。
- ✓1981年から2003年までの第一次政権において「ルックイースト政策」を掲げ、国の近代化を推進した。
- ✓2018年の総選挙で野党連合を勝利に導き、史上初の政権交代を実現させて92歳で首相に再就任した。
マハティール・ビン・モハマド(マレー語: Tun Dr Mahathir bin Mohamad、1925年7月10日 - )は、マレーシアの政治家、医師。同国首相を第4代(1981年 - 2003年)および第7代(2018年 - 2020年)の2期にわたり歴任した。
生い立ちと初期の経歴
1925年7月10日、イギリス領マラヤのケダ州アロースターに生まれる。父はインドからの移住者系で、同地初の英語学校の校長であった。戦時中は日本軍統治下で思春期を過ごした。戦後、イギリスによる完全な植民地化の動きに反対したことを契機に独立運動および政治活動に身を投じる。
1953年にマラヤ大学シンガポール校(当時)の医学部を卒業し、医師資格を取得。地元の総合病院を辞職した後に開業医として働きながら、統一マレー国民組織(UMNO)の活動に従事した。
第一次首相時代(1981年 - 2003年)
1981年7月にマレーシア第4代首相に就任。王族出身ではない初の平民出身首相として、22年間にわたる長期政権を築いた。
経済面では、日本や韓国の労働倫理や開発手法を手本とする「ルックイースト政策」を推進し、工業化とインフラ整備を急速に進めた。1990年代には高い経済成長率を達成し、東南アジアの経済発展を牽引した。また、1991年には2020年までに先進国の仲間入りを目指す長期開発構想「ワワサン2020(ヴィジョン2020)」を策定した。
1997年からのアジア通貨危機においては、国際通貨基金(IMF)の支援を受け入れる他国とは異なり、固定相場制の導入や資本統制を実施して独自の経済防衛策を展開した。
第二次首相時代と政治的転換
2003年に一度首相を退任したものの、のちに国政へ復帰。2016年に与党UMNOを離党して新党を結成し、野党連合を率いた。2018年5月の連邦下院選挙で当時の与党に勝利し、マレーシア独立以来初となる歴史的な政権交代を実現させた。
当時92歳で第7代首相に再登板し、民主的な選挙で選ばれた指導者として世界最高齢を記録した。2020年2月に政変や与党連合内の対立により辞任を表明し、その後も新党設立や選挙への出馬など政治的活動を継続した。
よくある質問
マハティールはいつ首相に就任しましたか?
ルックイースト政策とは何ですか?
2018年の政権交代の意義は何ですか?
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参考文献
- Wain, Barry (2010). Malaysian Maverick: Mahathir Mohamad in Turbulent Times. Palgrave Macmillan.
- 萩原宣之 『マハティール:マレーシアの近代化と指導者像』 アジア経済研究所.