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マリオ・デル・モナコ:イタリアの伝説的ドラマティック・テノール

マリオ・デル・モナコ:イタリアの伝説的ドラマティック・テノール
20世紀を代表するイタリアの名テノール歌手、マリオ・デル・モナコの生涯、主要なレパートリー、日本公演の記録について解説する百科事典記事。

📌 主なポイント

  • マリオ・デル・モナコは1915年7月27日にイタリアのガエータで生まれた。
  • 1940年にミラノのプッチーニ劇場で『蝶々夫人』のピンカートン役を歌い初舞台を踏んだ。
  • ヴェルディのオペラ『オテロ』のタイトル・ロールで特に高い評価を受け、その重厚な声は日本で「黄金のトランペット」と形容された。

マリオ・デル・モナコ(Mario Del Monaco、1915年7月27日 - 1982年10月16日)は、イタリア出身の名テノール歌手(テノーレ・ドランマーティコ)。その重厚で力強く輝かしい歌声は、ドラマティックなオペラ役柄において高く評価された。日本ではその声質が「黄金のトランペット」と形容されて広く親しまれた。

マリオ・デル・モナコ
マリオ・デル・モナコ

生涯と経歴

1915年にイタリアのガエータで生まれた。ペーザロの音楽院でアルトゥーロ・メロッキに声楽を学び、1937年にはトゥリオ・セラフィンに招かれてローマ歌劇場で研鑽を積んだ。1940年にミラノのプッチーニ劇場で、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』のピンカートン役を歌い初舞台を踏んだ。

その後、イタリア軍への徴兵による一時的な活動中断を経て、終戦直後から舞台活動を再開した。1946年にはアレーナ・ディ・ヴェローナでの『アイーダ』のラダメス役で大きな成功を収め、同年ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、1947年にはミラノ・スカラ座、1951年にはメトロポリタン歌劇場、1957年にはウィーン国立歌劇場へ相次いでデビューを果たした。

1950年にはブエノスアイレスのテアトロ・コロンで、のちに自身の代名詞となるヴェルディの『オテロ』のタイトル・ロールを初めて演じた。1963年12月に自動車事故に遭遇し約1年の休養を余儀なくされたが、その後も舞台に立ち続け、1970年代以降は声楽の指導にも力を入れた。1982年10月16日、心臓発作によりメストレにて67歳で逝去した。

主要なレパートリーと録音

デル・モナコの中核となったレパートリーには、ヴェルディの『オテロ』(オテロ役)や『イル・トロヴァトーレ』(マンリーコ役)、『アイーダ』(ラダメス役)、ジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』(シェニエ役)、レオンカヴァッロの『道化師』(カニオ役)などが挙げられる。特に『オテロ』における歌唱は世界的絶賛を浴び、数多くの公演や録音を残した。

活動期がLPレコードの発展期と重なり、デッカ・レコードとの専属契約のもとで多数の全曲録音に参加した。レナータ・テバルディ、ジュリエッタ・シミオナート、エットーレ・バスティアニーニら当時の著名な歌手たちとの共演盤は、現在でもクラシック音楽界の重要な記録として残されている。

日本公演

日本へは1959年の第2回NHKイタリア歌劇団公演で初来日し、『オテロ』のタイトル・ロールや『カルメン』のドン・ホセを演じた。続いて1961年の第3回公演(『アンドレア・シェニエ』『道化師』『アイーダ』)、1969年のリサイタルでも来演している。

よくある質問

マリオ・デル・モナコはどのような声質の歌手でしたか?
重厚で力強く、輝かしい響きを持つ「テノーレ・ドランマーティコ(ドラマティック・テノール)」として知られていました。
マリオ・デル・モナコの代表的な役は何ですか?
ヴェルディの『オテロ』のオテロ役が最も有名であり、彼の代名詞として世界的な評価を受けました。
マリオ・デル・モナコは来日したことがありますか?
はい。1959年、1961年のNHKイタリア歌劇団公演や、1969年のリサイタルなどで来日しています。

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参考文献

神保璟一郎『名曲を尋ねて 下巻 増訂新版』東京創元社、1960年。 小林利之「デル・モナコ(マリオ)」『レコード名演奏家全集 第4』音楽之友社、1963年。 志鳥栄八郎『世界の名曲とレコード Classic 中巻』誠文堂新光社、1968年。