日本の俳優
増田順司:日本の俳優・声優の生涯と経歴

1930年代から1980年代にかけて映画やテレビドラマで活躍した俳優、増田順司の経歴、出演作品、人物像について解説します。
📌 主なポイント
- ✓1915年10月25日生まれ、1989年5月25日没。
- ✓松竹大船撮影所を経て、フリーランスとして映画やテレビドラマで幅広く活躍した。
- ✓1954年に佐野周二、佐田啓二らと「まどかグループ」を設立した。
- ✓1968年から東京俳優学校で講師を務めた。
増田 順司(ますだ じゅんじ、1915年10月25日 - 1989年5月25日)は、日本の俳優、声優。東京市麹町区(現・東京都千代田区)出身。本名は吉野 順二(のち増田順二)。映画やテレビドラマ、舞台など幅広い分野で活動した。
経歴
増田家の次男として生まれ、のちに吉野家の養子となった。四谷第三尋常小学校を経て東京府立農芸学校を修了後、1932年に第一外国語学校英語科に入学し、1934年に卒業した。その後、日本大学専門部文科に進学し、演劇を志して大演劇ワークショップに加入。北村喜八や青山杉作らに師事した。
1936年に劇団創作座へ入団し、1938年末には文学座に加わる。1940年に東宝の企画課に勤務するが、1942年に退社。1943年には松竹大船撮影所に入社し、専属俳優として本格的なキャリアをスタートさせた。第二次世界大戦中は海軍に召集されたが、復員後に松竹へ復帰。1953年に松竹を退社し、フリーランスの俳優として活動した。
1954年には佐野周二、佐田啓二らと共に「まどかグループ」の設立に参加し、監査役や企画製作担当重役を務めた。1959年には「しばたプロダクション」の設立にも関与している。また、1968年からは東京俳優学校で講師を務めるなど、後進の育成にも携わった。
人物
1942年3月15日に吉野信子と結婚。信子との間には一男一女をもうけた。俳優としては旧姓の「増田」を芸名として使用し、後に「順司」へと改名した。1989年5月25日、胃癌のため東京都杉並区の河北病院にて73歳で死去した。
主な出演作品
映画
- 本日休診(1952年) - 三雲伍助 役
- ここに泉あり(1955年) - 金子 役
- 空飛ぶ円盤恐怖の襲撃(1956年) - 黒井博士 役
- 点と線(1958年) - 佐山課長補佐 役
- 刑事(1964年) - 菅原警察医 役
- 226(1989年) - 牧野伸顕 役
テレビドラマ
- 私は貝になりたい(1958年)
- 連続テレビ小説「あしたの風」(1962年 - 1963年) - 文吉 役
- 連続テレビ小説「本日も晴天なり」(1981年) - 長谷川芳信 役
- 大河ドラマ「竜馬がゆく」(1968年) - 堀次郎 役
- 大河ドラマ「黄金の日日」(1978年) - 浅井久政 役
- ウルトラセブン(1968年) - 真山博士 役
- 水戸黄門(各シリーズ) - 多数の役でゲスト出演
よくある質問
増田順司の主な活動ジャンルは何ですか?
映画、テレビドラマ、舞台を中心に活動した俳優であり、声優としても出演歴があります。
増田順司はどのような劇団や組織に所属していましたか?
創作座、文学座、松竹大船撮影所などに所属したほか、まどかグループやしばたプロダクションの設立にも関与しました。
増田順司の没年はいつですか?
1989年5月25日に胃癌のため死去しました。
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参考文献
- 『産経日本紳士年鑑』(第4版)産経新聞年鑑局、1963年。
- 『日本映画人大鑑』キネマ旬報社、1959年。
- キネマ旬報増刊1979年10月23日号「日本映画俳優全集男優編」。
- 『読売新聞』1989年5月27日夕刊。