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松平永芳

松平永芳
松平永芳(1915-2005)は、日本の元海軍軍人、陸上自衛官、神職。靖国神社第6代宮司として知られ、1978年に極東国際軍事裁判の受刑者を「昭和殉難者」として合祀したことで歴史的議論を呼んだ人物です。

📌 主なポイント

  • 1915年東京生まれ、2005年死去。
  • 元海軍少佐、元陸上自衛隊1等陸佐。
  • 1978年から1992年まで靖国神社第6代宮司を務めた。
  • 1978年に極東国際軍事裁判の受刑者を「昭和殉難者」として合祀した。

松平 永芳(まつだいら ながよし、1915年3月21日 - 2005年7月10日)は、日本の元海軍軍人、陸上自衛官、神職。靖国神社第6代宮司(在任:1978年 - 1992年)として知られ、在任中に極東国際軍事裁判(東京裁判)の受刑者を「昭和殉難者」として合祀したことで知られる。

松平永芳の肖像
松平永芳(1937年頃)

出自と経歴

東京府に生まれる。祖父は松平春嶽、父は松平慶民(子爵、宮内大臣、戦後は宮内府長官)。暁星中学校を経て海軍機関学校(第45期)を卒業し、海軍軍人として活動した。最終階級は海軍少佐。戦後は公職追放を経て、陸上自衛隊に入隊し、1968年に1等陸佐で退官した。その後、福井市立郷土歴史博物館の館長を務めた。

靖国神社宮司時代

1978年7月1日に靖国神社の第6代宮司に就任した。同年10月17日、それまで保留されていた極東国際軍事裁判の受刑者14柱を「昭和殉難者」として合祀した。この決定は、後に「A級戦犯合祀問題」として大きな議論を呼ぶこととなった。

松平は宮司として、神社を政治の渦中に巻き込まない方針を掲げ、国家護持法案に対しては反対の立場をとった。1992年3月に宮司を退任し、再び福井市立郷土歴史博物館長に復帰した。2005年7月10日に死去。

よくある質問

松平永芳はどのような経歴を持つ人物ですか?
海軍軍人(最終階級:海軍少佐)、陸上自衛官(最終階級:1等陸佐)、および神職として活動しました。戦後は福井市立郷土歴史博物館の館長も務めました。
靖国神社宮司として何を行いましたか?
1978年に、極東国際軍事裁判の受刑者を「昭和殉難者」として靖国神社に合祀しました。
国家護持法案に対してどのような立場でしたか?
松平は、靖国神社が政治の渦中に巻き込まれることを懸念し、国家護持法案に対しては反対の立場を表明していました。

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参考文献

総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。