大相撲
枩浦潟達也

昭和期に活躍した大相撲力士、枩浦潟達也の生涯と戦績。1945年の東京大空襲で犠牲となった力士の記録。
📌 主なポイント
- ✓1915年佐賀県生まれ、1945年東京大空襲により29歳で死去。
- ✓最高位は東小結。現役中に金星を2個獲得した。
- ✓1945年3月10日付で死亡認定されている。
枩浦潟 達也(まつらがた たつや、1915年5月27日 - 1945年3月10日)は、佐賀県東松浦郡名古屋村馬渡島(現・唐津市鎮西町馬渡島)出身の大相撲力士。本名は牧山 強臣(まきやま つよみ)。
来歴
1930年1月場所に錦島部屋から初土俵を踏んだ。四股名は出身地である唐津湾の松浦潟に由来する。1938年1月場所には「大蛇潟」の四股名で新入幕を果たしたが、負け越しにより十両へ陥落した。その後、四股名を「枩浦潟」に戻し、1940年1月場所で再入幕。この時期、独立した能代潟錦作と共に立田山部屋へ移籍している。
太平洋戦争下においても現役力士として土俵に上がり続け、1941年5月場所では西前頭2枚目で12勝3敗という好成績を収めた。この活躍により、1942年1月場所で小結に昇進。1943年5月場所では、照國と安藝ノ海という二人の大関から金星を挙げるなど、幕内上位で実力を発揮した。

最期
1945年3月10日の東京大空襲の際、本所千歳町の自宅付近で近隣住民と消火活動にあたっていたが、火勢に押され妻と共に避難した。その後行方不明となり、同日付で死亡認定された。享年29。遺体の確認については諸説あり、戦後の文献では犠牲者の中から発見されたとの記述も見られるが、詳細は不明である。
主な成績
- 通算成績:176勝160敗9休
- 幕内成績:79勝85敗4休
- 最高位:東小結
- 金星:2個(安藝ノ海、照國)
よくある質問
枩浦潟達也はどのような力士でしたか?
昭和期に活躍した力士で、色白の美男力士として人気がありました。最高位は小結で、幕内上位で活躍しました。
なぜ亡くなったのですか?
1945年3月10日の東京大空襲の際、避難中に消息を絶ち、そのまま死亡認定されました。
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参考文献
- 日本相撲協会公式サイト(力士データ)
- 『佐賀スポーツ人国記』(1977年発行)