明治維新の十傑における歴史的背景と選出の検証

📌 主なポイント
- ✓「維新の十傑」は、山脇之人の著書『維新元勲十傑論』(1884年)に由来する名数である。
- ✓西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の「維新の三傑」のほか、計10名の指導者が挙げられている。
- ✓山脇の選考には著者の主観や自由民権運動への反発が影響していると指摘されている。
- ✓岩倉具視を除く9人は明治16年までに病死や外因死により全員が世を去った。
維新の十傑(いしんのじっけつ)とは、幕末から明治維新にかけて新政府の樹立や近代化に尽力した志士・指導者のうち、山脇之人が1884年(明治17年)3月に刊行した著書『維新元勲十傑論』において挙げた特に優れた10人を指す名数である。
その顔ぶれには、「維新の三傑」とされる西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允のほか、薩摩藩の小松帯刀、長州藩の大村益次郎、前原一誠、広沢真臣、肥前藩の江藤新平、肥後藩の横井小楠、そして公家出身の岩倉具視が含まれている。この10人はいずれも幕末の動乱期から明治初期にかけて活躍したが、明治に入ると病死や外因死(暗殺、刑死、敗死)によって命を落とすことになった。
『維新元勲十傑論』の選出背景と偏り
小御所会議を経て王政復古の大号令を達成し、新政府発足時の中心となった人物や各藩の有力者が選ばれている一方で、当時の維新賞典禄における石高や功績の評価とは必ずしも一致していない。例えば、実際の賞典禄では土佐藩の板垣退助や後藤象二郎なども高禄を拝していたが、著者の山脇が当時活発化していた自由民権運動に反発を抱いていたため、薩長土肥藩閥のうち土佐藩士が意図的に除外されたという指摘がある。そのため、本書の選抜は客観的な基準のみに基づいたものとは言い難い側面を持っている。
十傑の顔ぶれ










十傑の最期と歴史的推移
山脇が選んだ10人のうち、小松帯刀、木戸孝允、岩倉具視の3人を除く7人は、暗殺や刑死、戦死などの外因によって命を落としている。明治初期の動乱において、横井小楠、大村益次郎、広沢真臣らが相次いで暗殺され、その後も佐賀の乱を起こした江藤新平や、萩の乱を起こした前原一誠が刑死した。さらに西南戦争では西郷隆盛が敗死し、その最中には木戸孝允が病死している。その後も紀尾井坂の変で大久保利通が暗殺され、最後の一人となった岩倉具視が1883年(明治16年)に病死したことで、十傑全員が世を去ることとなった。
他の選出論との比較
山脇之人の著作以外にも、明治以降には異なる基準に基づいた「十傑」が提唱されている。例えば、伊藤痴遊の『実録維新十傑』や、金澤正造の『維新十傑傳』では、幕末期に革命を導いた思想家や志士が別途選ばれており、坂本龍馬や吉田松陰、高杉晋作などが挙げられている。このように「維新の十傑」という呼称やその構成人数は、時代や論者によって異なる解釈が存在している。
よくある質問
維新の十傑とは何ですか?
維新の十傑には誰が含まれていますか?
十傑の最期にはどのような特徴がありますか?
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参考文献
1. 西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視など「維新の十傑」、指導力にすぐれた人材は? - ダイヤモンド社
2. 勝海舟『氷川清話』