日本史
明治時代のウサギ投機ブーム
明治初期の東京で発生したウサギの投機的流行「ウサギバブル」の歴史的背景、社会現象としての広がり、および行政による規制と終焉について解説します。
📌 主なポイント
- ✓ウサギバブルは明治4年から13年頃にかけて東京を中心に発生した投機的流行である。
- ✓明治6年に東京府が兎税を導入し、飼育や売買に対する厳しい取締りを行った。
- ✓明治9年には密告制度を含む罰則強化が行われ、相互監視体制が築かれた。
- ✓明治12年に兎税が廃止され、その後ブームは沈静化した。
明治初期、東京府を中心に発生したウサギに対する投機的な流行は、一般にウサギバブル(兎バブル)と呼ばれます。この現象は、明治4年(1871年)頃から始まり、明治6年(1873年)にピークに達した後、行政による規制を経て明治13年(1880年)頃に沈静化しました。
流行の背景と展開
明治5年(1872年)頃から、東京の富裕層の間で外来種のカイウサギが珍重されるようになりました。待合茶屋などにウサギを持ち寄り、その毛色や価格を競い合う「兎会」が開催されるなど、愛玩用としての飼育や品種改良が過熱しました。特に、黒毛の斑紋を持つ白兎「更紗兎」などが高値で取引され、種付用雄兎には高額な価格が付けられるなど、投機的な側面が強まりました。
行政による規制と兎税
過熱する投機に対し、行政は厳しい規制を導入しました。明治6年(1873年)1月には「兎会」が禁止され、同年12月にはウサギの売買に際して区扱所への届け出を義務付けるとともに、ウサギ1羽につき毎月1円の税金を課す「兎税」が導入されました。無届けの場合には過怠金が徴収されるなど、厳しい取締りが行われました。
明治9年(1876年)には、隠れてウサギを飼育した場合の罰則が強化され、密告者に対して過怠金の半額を報奨金として与える制度が導入されました。これにより相互監視体制が構築され、飼育や売買は沈静化に向かいました。
流行の終焉
明治12年(1879年)6月、営業税雑種税賦課規則の制定に伴い、兎税が廃止されました。一時的に再流行の兆しが見られたものの、明治13年(1880年)春頃にはブームは完全に衰退しました。バブル崩壊後、ウサギは愛玩用から家畜としての需要へとシフトし、飼育指南書が出版されるなど、実用的な畜産物として定着していきました。
よくある質問
ウサギバブルとは何ですか?
明治初期に東京で起こった、カイウサギの価格が高騰した投機的な流行現象のことです。
なぜウサギの飼育が規制されたのですか?
投機的な売買が過熱したことによる社会的な混乱を抑え、税収を確保する目的で行政が規制と課税を行いました。
兎税はいつ廃止されましたか?
明治12年(1879年)6月30日をもって廃止されました。
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参考文献
- 赤田光男『ウサギの日本文化史』世界思想社、1997年。
- 白山映子「明治初期の兎投機―「開化物」とメディアから見えてくるもの」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第51巻、2012年。
- 高嶋修一「明治の兎バブル」『青山経済論集』第64巻第4号、2013年。
- 牧原憲夫『明治七年の大論争』日本経済評論社、1990年。
- 國枝繁樹「第2章 バブルと税制:再考」『リスクと税制』日本証券経済研究所、2016年。