明治用水:愛知県西三河の近代農業用水の歴史と概要

📌 主なポイント
- ✓明治用水は愛知県の西三河地方南西部に農業用・工業用・上水道の水を供給している。
- ✓江戸時代末期から明治初期にかけて都築弥厚、伊豫田与八郎、岡本兵松らの計画によって開削された。
- ✓2022年5月に大規模な漏水事故が発生し、農業や周辺企業の工業用水供給に影響を与えた。
明治用水(めいじようすい)は、愛知県の西三河地方南西部に位置し、農業用、工業用、および上水道の水を供給している幹線用水路である[1]。江戸時代末期から明治初期にかけて測量・開削が進められた近代用水の先駆けであり、名称には明治という元号が冠されている。

概要
愛知県豊田市水源町に位置する矢作川から取水を行い、豊田市、安城市、岡崎市、西尾市、碧南市、高浜市、刈谷市、知立市といった西三河の自治体に水を供給している[1]。用水は本流のほか、西井筋、中井筋、東井筋などの幹線と多数の支線から構成されており、全体の灌漑面積は約7,000ヘクタールに及ぶ。

歴史
都築弥厚による計画
碧海台地に矢作川の引水を行って新田開発を行う構想は、江戸時代の文化・文政期に和泉村(現在の安城市和泉町)の豪農であった都築弥厚が発案したものである。都築は数学者の石川喜平らとともに測量を進め、1826年に測量を完了させた。その後『三河国碧海郡新開一件願書』を幕府勘定奉行へ提出し、1833年に計画の許可が下りたが、都築自身は同年中に病没した。
伊豫田与八郎と岡本兵松の取り組み
都築の死後は計画が一時停滞したが、岡崎の庄屋である伊豫田与八郎や、石井新田の開墾に携わった岡本兵松らがそれぞれの立場で用水路の必要性を訴え、計画の再提出や調整を行った。愛知県庁関係者の働きかけにより両者の計画が統合され、1875年に愛知県令へ開拓再願書が提出された。農民の反対説得などを経て1879年に本流の工事が始まり、1880年に完成式典が挙行された。その後、中井筋、東井筋、西井筋が順次完成し、1881年に「明治用水」と命名された。

近代化と頭首工の漏水事故
昭和期に入ると、1932年から1942年にかけて県営明治用水幹線改良事業が実施された。1946年には昭和天皇の戦後巡幸の一環として行幸が行われている[7]。1971年からは国営事業による近代化が進められ、暗渠化などの工事が行われた。2007年には「明治用水旧頭首工」が土木学会選奨土木遺産に選定され[8]、2016年には国際かんがい排水委員会のかんがい施設遺産に登録された。

一方で、2022年5月17日には取水施設の「明治用水頭首工」において大規模な漏水が発生し、一時矢作川からの取水が困難な状態に陥った[9]。この影響により、西三河地域の農業用水だけでなく、トヨタ自動車をはじめとする周辺企業の工場や発電所などへの工業用水供給にも懸念が生じた[10, 13]。同年8月には川底の穴をコンクリートで埋める応急復旧工事が完了し[15]、その後も本格的な復旧・再建築工事が進められている[16]。


関連施設・神社
明治用水の沿線には、建設の功労者を祀る神社が存在する。安城市東栄町には1885年に建立された明治川神社があり、都築弥厚、石川喜平、伊豫田与八郎、岡本兵松の4人が祀られている[17]。また、豊田市水源町のスーゲン公園内には水源神社が鎮座している[18]。また、用水の一部が暗渠化された区間の上部は「豊田安城サイクリングロード」として整備されている。



よくある質問
明治用水はどこから取水していますか?
明治用水の開削を発案した人物は誰ですか?
2022年に発生したトラブルは何ですか?
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参考文献
- 水土里ネット明治用水 『明治用水』
- 東海農政局 『明治用水の歴史』
- 内閣府防災情報 『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1947 カスリーン台風』