日本の元号

明応 (日本)

日本の元号である明応(1492年〜1501年)の歴史的背景、改元の経緯、明応の大地震や明応の政変などの主要な出来事について解説します。

📌 主なポイント

  • 明応は日本の元号の一つで、1492年から1501年までの期間を指す。
  • 改元は延徳4年7月19日に行われ、『周易』の記述を出典としている。
  • 明応2年(1493年)には細川政元による明応の政変が起きた。
  • 明応7年(1498年)には東海道全域で明応の大地震が発生し、津波によって浜名湖が外海と接続した。

明応(めいおう、旧字体: 明󠄁應)は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇および後柏原天皇、室町幕府の将軍は足利義材(のちに義稙)および足利義澄であった。なお、それ以前に応仁の乱で西軍に擁立された後南朝の西陣南帝が、独自に「明応」の年号を制定していた事例も存在する。

改元の経緯

延徳4年7月19日(ユリウス暦1492年8月12日)、疫病の流行などを理由に改元が行われた。権大納言であった甘露寺親長が『親長卿記』の延徳4年5月1日条において、疫病流行を理由とする改元を発議したと記されている。この改元においては、当時の将軍であった足利義材の政治的関与が強く働いたとされ、上卿の選定や実施日のみならず、新元号に「明」の字を用いることに対してまで干渉したことが『親長卿記』に伝えられている。

新元号の出典は、『周易』のの一節である「其徳剛健而文明、応乎天」に由来している。

明応期の主な出来事

明応年間は、室町幕府の権力闘争や大規模な自然災害、朝廷における代替わりなど、歴史の転換点となる出来事が相次いだ。

  • 明応2年4月(1493年):明応の政変が発生。管領・細川政元が将軍・足利義材を廃し、足利義澄(義高)を新たな将軍として擁立した。
  • 明応7年8月25日(1498年):東海道全域を大地震(明応の大地震)が襲う。発生した津波の影響により、浜名湖が外海とつながる地形の変化が生じた。
  • 明応9年6月7日(1500年):応仁の乱以降中断していた祇園会の山鉾巡行が、33年ぶりに復活を果たす。
  • 明応9年10月25日(1500年):後土御門天皇の崩御を受け、後柏原天皇が践祚した。

よくある質問

明応はいつからいつまでの期間ですか?
1492年から1501年までの期間を指します。
明応の由来は何ですか?
中国の古典である『周易』の「其徳剛健而文明、応乎天」から採られています。
明応期に起きた主な政治的事件は何ですか?
1493年に細川政元が将軍・足利義材を廃した「明応の政変」が挙げられます。

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参考文献

  • 久水俊和「室町時代の改元における公武関係」(初出:『年報中世史研究』34号、2009年/改題所収「改元をめぐる公家と武家」久水『室町期の朝廷公事と公武関係』岩田書院、2011年)
  • 神田裕理『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』校倉書房、2011年