日本の元号
明和 (日本)
日本の元号の一つである「明和」の歴史、改元の背景、典拠、および主な出来事について解説する百科事典記事。
📌 主なポイント
- ✓明和は日本の元号の一つで、1764年から1772年まで施行された。
- ✓改元は当初1764年1月に予定されていたが、朝鮮通信使の来日に配慮して同年6月に延期された。
- ✓元号の典拠は中国の古典『書経』である。
明和(めいわ、旧字体: 明󠄁和)は、日本の元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間に施行された。この時代の天皇は後桜町天皇および後桃園天皇、江戸幕府将軍は徳川家治が務めた。
改元
宝暦14年6月2日(グレゴリオ暦1764年6月30日)、後桜町天皇の即位に伴い改元が行われた。当初は1月28日に改元が予定されていたが、朝鮮通信使の来日期間と重なっていたため、事務上の懸念および外聞への配慮から4か月間延期された歴史的経緯を持つ[1]。その後、明和9年11月16日(グレゴリオ暦1772年12月10日)に安永へと改元された。
典拠
元号の典拠となったのは中国の古典『書経』の一節である。「九族既睦、平章百姓、百姓昭明、協和万邦、黎民於變時雍」の記述に基づいている[2]。この言葉は五帝の一人である堯を称えたものであり、人々が和合し、それぞれの立場において徳を明らかにすることで世界全体の共存繁栄が図られるという意味が込められている。
主な出来事
明和年間には、社会的な事件や自然災害が相次いだ。明和元年12月の中山道における伝馬騒動に始まり、明和2年には錦絵が誕生している。また、明和4年には山県大弐らが尊王論を理由に処罰された明和事件が発生した。災害面では、明和7年7月(1770年9月)に全国でオーロラが観測されたほか、明和8年3月には沖縄県の石垣島周辺を明和の大津波が襲った。さらに、明和9年2月には江戸三大火の一つである明和の大火(目黒行人坂の大火)が発生し、災害が相次いだこの年は「明和九年は迷惑年」と俗称された。
よくある質問
明和の期間はいつからいつまでですか?
宝暦14年(1764年)から明和9年(1772年)までです。
明和の改元が延期された理由は何ですか?
朝鮮通信使の来日と時期が重なっており、事務上の問題や外聞への配慮から4か月間延期されました。
明和の典拠となった書籍は何ですか?
中国の古典である『書経』です。
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宝暦安永後桜町天皇徳川家治
参考文献
1. 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P260-262
2. 『今日の四字熟語 -No. 402 【百姓昭明】 ひゃくせいしょうめい』(福島みんなのNEWS)