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メンフィス・スリムの生涯と音楽活動

メンフィス・スリムの生涯と音楽活動
アメリカのブルース・ピアニスト、歌手であるメンフィス・スリムの経歴、シカゴでの活動、ヨーロッパ移住、そして音楽的功績を解説します。

📌 主なポイント

  • メンフィス・スリムの本名はジョン・レン・チャットマンである。
  • 代表曲の一つ「Every Day I Have The Blues」の原曲は、1947年にレコーディングされた。
  • 1962年にパリへ移住し、ヨーロッパを中心に活動を展開した。
  • 1989年にブルースの殿堂入りを果たした。

メンフィス・スリム(Memphis Slim、本名:ジョン・レン・チャットマン、1915年9月3日 - 1988年2月24日)は、アメリカ合衆国のブルース・ピアニスト、歌手、ソングライターである。

初期の経歴

1915年9月3日、テネシー州メンフィスに生まれる。父親のピーター・チャットマンも歌手、ピアニスト、ギタリストであり、ジュークジョイントを経営していた。1930年代の大半をアーカンソー州やミズーリ州の酒場やダンスホール、賭博場などで演奏して過ごした後、1939年にシカゴへ移住した。

シカゴでの活動とレーベル変遷

シカゴ移住後、ギタリストのビッグ・ビル・ブルーンジーと共演するようになり、1940年にはブルーバード・レコードでレコーディングを行った。ブルーバードのプロデューサーであるレスター・メルローズにより「メンフィス・スリム」の芸名が付けられ、スタジオのレギュラー・セッション・ミュージシャンとしても活動した。

第二次世界大戦後、サクソフォン、ベース、ドラムス、ピアノを取り入れたジャンプ・ブルースのバンド編成を率いるようになった。ハイトーン、ミラクル、プレミアム、ユナイテッドなどのインディペンデント・レーベルに数多くの音源を残し、1948年には「Messin' Around」がR&Bチャートで1位を記録した。

代表曲とヨーロッパへの移住

1947年にミラクル・レーベルでレコーディングした楽曲は、後に「Every Day I Have The Blues」として知られるスタンダード曲となり、ローウェル・フルソンをはじめ多くのアーティストによってカバーされた。

1960年代初頭からはウィリー・ディクスンとのヨーロッパ・ツアーやアメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルに参加。1962年にフランスのパリへ移住し、その後は約30年にわたりヨーロッパを拠点に活動を続け、テレビ出演や映画音楽の制作も行った。

晩年と評価

晩年の1985年にはフランス文化省から芸術文化勲章コマンドゥールを授与された。1988年2月24日、腎不全のためパリで死去。死後の1989年にブルースの殿堂入りを果たし、2015年にはメンフィス音楽の殿堂に迎え入れられた。

よくある質問

メンフィス・スリムの代表曲は何ですか?
代表曲には「Every Day I Have The Blues」の原点となった楽曲や「Mother Earth」などがあり、多くのブルース・アーティストにカバーされている。
メンフィス・スリムはいつ亡くなりましたか?
1988年2月24日に、フランスのパリにおいて腎不全のため72歳で死去した。

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参考文献

Colin Larkin, ed. (1995). The Guinness Who's Who of Blues. Guinness Publishing. p. 266. ISBN 0-85112-673-1.