日本史
民部省(明治時代)の沿革と組織
明治時代初期に国内行政を管轄し、大蔵省との統合・分離を繰り返した中央官庁「民部省」の歴史や所管業務について解説します。
📌 主なポイント
- ✓民部省は明治2年7月8日(1869年8月15日)に職員令の公布により設置された。
- ✓発足直後から大蔵省との統合と分離を繰り返し、明治4年7月27日(1871年9月11日)に大蔵省へ再統合され廃止された。
- ✓戸籍、租税、駅逓、鉱山、土木などの国内行政全般を所管していた。
民部省(みんぶしょう)は、明治時代初期の日本において、国内行政を管轄するために太政官に設置された中央官庁の一つである。前身である民部官が改組される形で、明治2年7月8日(1869年8月15日)の職員令公布によって発足した。
沿革と大蔵省との統合・分離
発足直後の明治2年8月11日(1869年9月16日)、民部省は大蔵省と合併し、役職や庁舎が合同となった(通称「民部大蔵省」)。当時の政府内では、中央集権体制の確立を急ぐ木戸孝允一派と、急激な改革による地方の混乱や旧幕臣の登用に反発する大久保利通らの間に路線対立が存在した。組織の一体化や地租改正を巡る方針の違いから対立が続き、明治3年7月10日(1870年8月6日)に大久保らの主導により大蔵省から再度分離された。
分離後も租税事務を大蔵省が一括して担当するなど調整が続き、明治3年閏10月20日(1870年12月12日)には殖産興業を担う工部省が分離されるなど、組織の再編が相次いだ。最終的に、明治4年7月27日(1871年9月11日)の布告によって民部省は大蔵省に再度統合され、廃止された。
所管業務と組織
発足当初、民部省は戸籍、租税、駅逓、鉱山、済貧養老などの国内行政全般を総括していた。明治3年7月の再分離の際には、地理司、土木司、駅逓司、鉱山司、庶務司のほか、聴訟掛、社寺掛、鉄道掛、電信機掛、燈明台掛、横須賀製鉄所掛などの諸司・掛が設けられた。
よくある質問
民部省とはどのような官庁ですか?
明治時代初期に国内行政を管轄するため太政官に置かれた中央官庁です。戸籍や租税、鉱山、駅逓などを所管していました。
なぜ大蔵省との統合と分離が繰り返されたのですか?
中央集権化と財政の一体化を急ぐ派閥と、急激な改革や地方の負担軽減、人事政策を巡る政府内の対立が背景にあったためです。
民部省は最終的にどうなりましたか?
明治4年7月27日(1871年9月11日)に大蔵省へ再度統合され、廃止されました。
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大蔵省太政官明治維新工部省
参考文献
太政官『官制改定職員令ヲ頒ツ』国立公文書館デジタルアーカイブ、1869年7月8日。
太政官『民部省大蔵省ト分離スルニ因リ更ニ諸司ノ管轄ヲ定ム』国立公文書館デジタルアーカイブ、1870年7月17日。
大蔵省百年史編集室『大蔵省百年史 上巻』財務省、1969年。
太政官『民部省大蔵省ト分離スルニ因リ更ニ諸司ノ管轄ヲ定ム』国立公文書館デジタルアーカイブ、1870年7月17日。
大蔵省百年史編集室『大蔵省百年史 上巻』財務省、1969年。