文化・芸術・思想
日本における民藝運動の歴史と展開

柳宗悦らによって提唱された民藝運動の歴史、理念、主要な人物、および全国への広がりについて解説する百科事典記事です。
📌 主なポイント
- ✓「民藝」という言葉は「民衆的工藝」の略語であり、柳宗悦らによる造語である。
- ✓1926年に柳宗悦、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司の連名で「日本民藝美術館設立趣意書」が発表された。
- ✓1936年に東京都に日本民藝館が開館し、柳宗悦が初代館長に就任した。
民藝運動(みんげいうんどう)とは、無名の職人による手仕事の日常づかいの道具(雑器)の中に、実用性と結びついた独自の美しさを見出そうとする美学運動および社会運動である。「民藝」という言葉は「民衆的工藝」の略語であり、思想家の柳宗悦らによって作られた造語である。
運動の萌芽と理念の形成
大正期、雑誌『白樺』の同人として活動していた柳宗悦は、生活の中で使われる日用雑器や、朝鮮王朝時代の美術工芸品などに魅了され、それまでの高価な美術品や西洋的なファインアート中心の価値観とは異なる美の基準を見出した。1924年、柳は陶芸家の河井寛次郎や濱田庄司らと共に、江戸時代の遊行僧である木喰上人の仏像の調査などを通じて、無名の職人による手仕事の価値を再認識していった。
「民藝」の命名と組織化
1925年の末、柳、河井、濱田の3人による調査旅行の最中に「民衆的工藝」を略した「民藝」という言葉が誕生した。1926年には、柳宗悦、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司の連名で「日本民藝美術館設立趣意書」が発表され、運動が本格的に始動した。さらに、各地での展覧会の開催や、上賀茂民藝協團の発足など、新作民藝の制作と普及に向けた組織的な活動も行われた。
美術館の設立と全国への広がり
柳らは収集した民芸品を公開し、運動の理念を広く伝えるための拠点の設立を目指した。1936年には、東京都目黒区駒場に財団法人日本民藝館が開館し、柳が初代館長に就任した。その後も鳥取の「たくみ工藝店」の開店や、各地での民藝協会の設立、日本民藝館に倣った地方の民藝館の開設などにより、運動は日本全国へと波及していった。
よくある質問
民藝運動とはどのような運動ですか?
手仕事によって生み出された日常づかいの雑器(民衆的工藝)の中に美を見出し、その価値を広めようとする思想・美学運動です。
「民藝」という言葉は誰が作ったのですか?
柳宗悦らによって、「民衆的工藝」の略語として作られた造語です。
民藝運動の中心的人物には誰がいますか?
柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司などが中心人物として知られています。
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参考文献
日本民藝館 『日本民藝館所蔵品図録』 / 東京国立近代美術館編 『民藝の100年』