大正デモクラシーにおける民本主義の思想と展開
📌 主なポイント
- ✓民本主義は、大正デモクラシー期に吉野作造らによって体系的に提唱された政治思想である。
- ✓吉野作造は「民主主義」が国家の主権の所在(人民主権)を問うのに対し、「民本主義」は主権の所在を問わず政治の目的や方針が人民に向けられるべきであるとした。
- ✓「民本」という語の由来は中国の古典思想や歴史的文献に遡り、近代日本においては複数の論者によって異なる文脈で用いられた経緯がある。
民本主義(みんぽんしゅぎ)とは、近代日本の大正デモクラシー期において提唱された政治・社会思想の一形態である。
西欧から流入した「democracy」の訳語および概念として論じられたが、当時の日本の国体(大日本帝国憲法の下での天皇主権・君主主権の枠組み)との衝突を避けるため、主権の所在をあえて問わずに政権運用の目的や政策決定が民意に基づき人民の利益を重視すべきであるとする立場をとった点が特徴である。
「民本」という語の由来と用例
「民本」という語句自体は、古代中国の思想家である孟子の著作などにみられる伝統的な政治的言及(「民為貴社稷次之君為軽」など)に遡ることができる。
近代日本においては、明治期に加藤弘之が『国体新論』などで中国の古典や仁徳天皇の故事を引き合いに言及していたほか、大正期に入ると茅原華山や上杉慎吉、井上哲次郎などがそれぞれ「民本」の語を使用していた。こうした中で、政治学者の吉野作造が自身の政治論の中でこの語を借用し、広く定着させることになった。
吉野作造による提唱と「民主主義」との区別
吉野作造は、1916年(大正5年)に発表した論文「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」(『中央公論』掲載)などにおいて、democracyの訳語および解釈として「民主主義」と「民本主義」の2つを提示した。
吉野は、大日本帝国憲法の下ですでに確立されていた立憲君主制の枠組みを否定することなく、君主主権か人民主権かという主権論争をあえて回避しながら、統治の目的が特権階級のためではなく人民全般の利益と意向を重んじるべきであると主張した。この穏健かつ現実的なアプローチは、当時の知識人や社会運動に大きな影響を与えた。
歴史的影響と展開
吉野作造が提唱した民本主義は、大正デモクラシーの運動を活発化させる原動力となっただけでなく、当時の農民運動、労働運動、婦人運動といった多様な社会運動に対しても大きな理論的影響を与えた。
一方で、国家主義や絶対主義的な立場をとる上杉慎吉らからは激しい批判を受け、当時の『中央公論』紙上などを舞台に活発な論争が展開された。また、吉野自身の思想も時代の経過や論争の中で微修正が加えられていった。
よくある質問
民本主義と民主主義の違いは何ですか?
民本主義を提唱した中心的な人物は誰ですか?
「民本」という言葉はどこから来たのですか?
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参考文献
- 小学館・日本大百科全書ニッポニカ「民本主義」(松尾尊兌)
- 松本三之介「「民本主義」の歴史的形成」『年報政治学』第8巻、日本政治学会、1957年、113-114頁。
- 太田雅夫「大正期におけるデモクラシー訳語考」『キリスト教社会問題研究』第13巻、同志社大学人文科学研究所キリスト教社会問題研究会、1968年3月、34-68頁。
- 加藤弘之『国体新論』(谷山楼、明治7年)