社会変革としての近代化とモダナイゼーションの歴史的展開

📌 主なポイント
- ✓近代化(モダナイゼーション)とは、封建的なものを排除し、社会や事物を科学化・合理化していく過程を指す。
- ✓近代化の中核には産業化、資本主義化、民主化といった要素が含まれる。
- ✓1950年代から1960年代のアメリカでは、冷戦期の開発途上国対策として近代化論が盛んに研究された。
近代化(きんだいか)またはモダナイゼーションとは、封建的な諸関係や伝統的な制度を排除し、社会のあらゆる領域を科学化・合理化していく過程を指す概念である[1]。具体的には、産業化、資本主義化、民主化、官僚制化などを核心的な要素とする[2]。ここでいう「近代」とは、一般的に封建的時代から脱却した後の資本主義社会および市民社会の時代を意味している。
近代化論の興亡と学問的背景
近代化論は、1950年代から1960年代にかけて、第二次世界大戦後に次々と独立を果たした旧植民地の国々をいかにして近代化させ、欧米型の国民国家を形成するかを論じた社会科学の学問領域である。開発経済学と密接に重複し、経済成長のみならず、政治、社会、文化、心理に至る人間生活の全般における変革を対象とした。
特にアメリカ合衆国において近代化論が強力な影響力を持った背景には、東西冷戦という時代状況があった。開発途上国に対するソビエト連邦の影響力を抑制し、欧米型の国家体制へと誘導することが近代化論の重大な使命と位置づけられたためである。しかし1970年代に入ると、開発途上国における貧困の継続や、ベトナム戦争の敗北に伴う反米ナショナリズムの台頭により、従来の開発戦略に対する見直しが迫られた。これに伴い、国際従属理論や文化帝国主義論が台頭し、近代化論はその影響力を急速に低下させた。
産業化を中心とした発展
近代化の中核を成すのが産業化である。産業化は、科学革命の成果を系統的・累積的に活用して生産力を飛躍的に高め、環境をコントロールする能力を拡大させるプロセスであり、その本格的な展開は18世紀後半のイギリスにおける産業革命に始まった。イギリスで産業革命が進行した要因としては、海外の植民地による市場および原料供給地の確保、市民革命や名誉革命を経た政治的・法的環境の整備、大西洋貿易を通じた資本蓄積、そして農業革命による労働力の供給などが挙げられる。この産業化の波は、やがてヨーロッパ大陸や北アメリカ、そして19世紀後半以降はロシアや日本にも伝播し、20世紀後半には世界全体に拡大した。
主権国家体制の成立と17世紀の動向
近代化の政治的基盤となる主権国家体制は、17世紀のヨーロッパにおける長期の戦争と国際秩序の再編を通じて形成された。1648年のウェストファリア条約により、神聖ローマ帝国内の各領邦の主権が認められ、オランダやスイスの独立が正式に承認された。宗教や文化の差異を超えて対等な外交交渉を行い、勢力の均衡を図るこの枠組みは、近代国際秩序の基礎となった。
よくある質問
近代化とモダナイゼーションは何を意味しますか?
近代化論が1950年代のアメリカで重視された理由は何ですか?
産業革命はいつ、どこで本格化しましたか?
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参考文献
- 「モダナイゼーション」コトバンク。
- 松村圭一郎『文化人類学』人文書房、2011年。
- Sergei Gavrov; Igor Klyukanov (2015). "Modernization, Sociological Theories of". International Encyclopedia of the Social & Behavioral Sciences.