モンゴル国の概要、歴史と政治体制

📌 主なポイント
- ✓モンゴル国は東アジアに位置する内陸国で、首都はウランバートルである。
- ✓1911年の独立宣言を経て、1924年にモンゴル人民共和国が成立し、1992年の民主化によって現在のモンゴル国へと改称された。
- ✓国家体制は、一院制の国家大会議と大統領が並立する半大統領制を採用している。
モンゴル国は、東アジアに位置する共和制国家である。首都および最大の都市はウランバートルであり、国土はモンゴル高原のうちゴビ砂漠以北の地域(かつて外蒙古と呼ばれた領域)にほぼ該当する。東と南の二方向を中国、北をロシアとそれぞれ接する内陸国であり、国際連合加盟国の中で人口密度が最も低い国として知られている。
国名
正式名称はモンゴル語(キリル文字)でМонгол Улс(モンゴル・オルス)、ラテン文字転写はMongol Ulsである。「モンゴル」は民族名を指し、「オルス(ウルス)」は国家を意味する。英語表記はMongoliaである。
歴史
19世紀から20世紀初頭にかけて、外モンゴルは清朝の支配下に置かれていた。1911年に辛亥革命が勃発すると、ハルハ地方の王侯たちはロシアの支援を求めて清からの独立を宣言し(1911年モンゴル革命)、チベット仏教界の最高権威であったジェプツンダンバ・ホトクト8世を君主とするボグド・ハーン政権を樹立した。
1921年のモンゴル革命を経て、1924年にはジェプツンダンバ8世の死去を契機に君主制から人民共和国へと移行し、モンゴル人民共和国が成立した。第二次世界大戦後の1945年には、ソ連対日参戦に伴いモンゴル人民軍も進駐を行った。冷戦期を通じてソビエト連邦との強い結びつきを維持し、一党独裁体制が続いた。
1989年末から1990年にかけて民主化運動が起き、一党独裁が放棄された。1992年には新憲法が制定され、国名を「モンゴル国」に変更して社会主義路線を完全に放棄し、市場経済化と複数政党制による民主政治へ移行した。
政治
1990年の民主化以降、自由選挙による複数政党制が導入された。1992年の新憲法公布後は、直接選挙で選出される一院制の国家大会議と大統領が並立する二元主義的議院内閣制(半大統領制)を採用している。
国際関係
モンゴルの外交基本方針は、隣国である中国とロシアとのバランスを維持しつつ、日米などの「第三の隣国」との関係を発展させることにある。日本との間では、経済協力をはじめ、大相撲を通じた人的・文化的交流が盛んであり、極めて良好な親日関係が築かれている。
よくある質問
モンゴル国の首都はどこですか?
モンゴル国の政治体制はどのようなものですか?
モンゴル国が社会主義を放棄したのはいつですか?
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参考文献
- UNdata 国連
- World Economic Outlook Database IMF
- 日本外務省 モンゴル基礎データ