映画技術者
向山宏:東宝映画を支えた合成技師の生涯
東宝映画の合成技師として『ゴジラ』をはじめとする数々の特撮作品を支えた向山宏の経歴と功績について解説します。
📌 主なポイント
- ✓1915年2月16日生まれ、長野県出身の映画合成技師。
- ✓1948年の『小判鮫』で日本映画技術賞合成技術賞を受賞。
- ✓『ゴジラ』をはじめとする東宝特撮映画の合成技術を長年支えた。
向山宏(むこうやま ひろし、1915年2月16日 - 没年不明)は、日本の映画合成技師。長野県出身。戦前から戦後の日本映画、特に東宝の特撮映画において、光学合成技術の発展に大きく貢献した人物として知られています。
経歴
1940年12月1日、東宝映画に入社。入社前は着物の模様師として活動していましたが、戦時下の国策により職を失いました。その後、美術学校に通っていた兄の縁で東宝映画の美術担当者から誘いを受け、合成担当のスタッフとして採用されました。1942年11月公開の『おもかげの街』で合成技師としてデビューしました。
終戦後も東宝に残留し、円谷英二が東宝を退社した時期にも合成技術の現場を支え続けました。1948年の外部提携作品『小判鮫』での技術が評価され、日本映画技術賞合成技術賞を受賞。業界内では「向山合成」と称されるほどの高い評価を得るに至りました。1970年に退社するまで、東宝の特殊技術課において合成係の係長を務めました。
技術と評価
向山は、1963年にオックスベリー社製のオプチカル・プリンターが導入される以前、自作のプリンターを用いて合成作業を行っていました。特技監督の中野昭慶は、向山の手先の器用さを高く評価しており、円谷英二に勝るとも劣らない技術を持っていたと回想しています。また、田中友幸プロデューサーは、映画『ゴジラ』(1954年)において、群衆の上を歩くゴジラをワンカットで合成した技術を高く評価しました。
私生活では楽器演奏に長けており、特に尺八の腕前はプロ級であったと伝えられています。円谷英二とは三味線を通じて親交を深めるなど、公私にわたる交流がありました。
主な参加作品
- 『姿三四郎』(1943年)
- 『ゴジラ』(1954年)
- 『ゴジラの逆襲』(1955年)
- 『空の大怪獣ラドン』(1956年)
- 『地球防衛軍』(1957年)
- 『美女と液体人間』(1958年)
- 『モスラ』(1961年)
- 『キングコング対ゴジラ』(1962年)
- 『海底軍艦』(1963年)
- 『怪獣大戦争』(1965年)
- 『怪獣総進撃』(1968年)
よくある質問
向山宏はどのような技術で知られていますか?
映画の合成撮影および合成作画において卓越した技術を持ち、特にオプチカル・プリンター導入以前から自作の機材を駆使して高度な合成を実現したことで知られています。
向山宏が東宝に入社したきっかけは何ですか?
戦時中の国策により着物の模様師としての仕事がなくなった際、美術学校に通っていた兄の紹介で東宝映画の合成スタッフとして採用されました。
向山宏の代表的な受賞歴はありますか?
1948年の外部提携作品『小判鮫』において、日本映画技術賞合成技術賞を受賞しています。
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円谷英二東宝特撮ゴジラ中野昭慶
参考文献
- 田中友幸監修『東宝特撮映画全史』東宝出版事業室、1983年。
- 野村宏平、冬門稔弐『ゴジラ365日』洋泉社、2016年。
- 但馬オサム「ピー・プロワークス 人物名鑑」『電人ザボーガー&ピー・プロ特撮大図鑑』洋泉社、2011年。