室町時代の武家政権:室町幕府の成立と構造

📌 主なポイント
- ✓室町幕府は、足利尊氏が京都で創始した日本の武家政権である。
- ✓実質的な成立は1336年の『建武式目』制定時期とされ、尊氏は1338年に征夷大将軍に任ぜられた。
- ✓政権の機構は鎌倉幕府を踏襲し、管領をはじめとする中央官僚組織や守護大名による連合政権的な特徴を持っていた。
- ✓元亀4年(1573年)に15代将軍・足利義昭が織田信長によって京都から追放されたことで、事実上の滅亡を迎えた。
室町幕府(むろまちばくふ)は、室町時代における日本の武家政権である。征夷大将軍となる足利尊氏が京都を拠点として創始し、その称は3代将軍足利義満が京都の室町へ移した「花の御所」に由来する。足利幕府とも称される。
成立の経緯
延元年(1336年)5月、九州から東上した足利尊氏が湊川の戦いで楠木正成を破った。翌月には京都に入った尊氏が光厳上皇を擁立し、同年11月には『建武式目』が制定されて新たな武家政権の施政方針が示された。これにより、室町幕府の実質的な成立がもたらされた。
その後、南朝方の有力武将である北畠顕家や新田義貞らが相次いで戦死・敗死したことにより、南朝方は劣勢に陥った。このような北朝・幕府方優位の情勢のもと、建武5年(1338年)8月11日に足利尊氏は正式に征夷大将軍に任ぜられた。
政治体制と組織機構
室町幕府の職制は、基本的に鎌倉時代の機構を踏襲して整備された。基本法としては『建武式目』が制定され、個別の法令としては『御成敗式目』(貞永式目)が適用されたほか、必要に応じて「建武以来追加」と呼ばれる追加法が発布された。
中央機構においては、将軍を補佐する管領が置かれ、斯波氏・畠山氏・細川氏の三氏が交代で任じられた(三管領)。また、政所、問注所、侍所などが置かれ、幕府の行政や司法、治安維持を担った。さらに、足利義満の時代以降は、将軍直属の軍事力として奉公衆が整備強化された。
守護大名と地方支配
室町幕府は、鎌倉幕府のような個々の御家人との直接的な主従関係というよりも、守護大名による合議制・連合政権としての性格を持っていた。長期にわたる南北朝の内乱を通じて、各地の守護はその権限を拡大させ、任国内の国人などを被官化して領国支配者(大名)へと成長していった。
地方支配においては、辺境分治・遠国融和の方針がとられた。東国には鎌倉府が置かれて鎌倉公方が統括し、これを関東管領が補佐した。また、東北地方には奥州探題や羽州探題、九州には九州探題が設置されて、それぞれ地方の統治にあたった。
滅亡と終焉
3代将軍足利義満の時代に全盛期を迎えた幕府であったが、嘉吉の乱で6代将軍足利義教が殺害されると将軍の権威は低下した。その後は管領家や有力守護による権力闘争が続き、応仁の乱へと発展した。
元亀4年(1573年)7月、15代将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放されたことにより、中央政権としての室町幕府は事実上の滅亡を迎えた。また、その後の義昭の動向や将軍職の辞任時期(天正16年)をめぐっては、いくつかの歴史的解釈が存在している。