長崎地方気象台の歴史と概要

📌 主なポイント
- ✓1878年7月1日に九州初の測候所として「長崎測候所」が設立された。
- ✓1947年に「長崎海洋気象台」として再編され、2013年に現在の「長崎地方気象台」へ改称された。
- ✓かつては長崎市の正午を告げる「午砲台」の運用を支援していた歴史がある。
長崎地方気象台は、長崎県長崎市南山手町に拠点を置く気象庁の地方気象台です。長崎県内の気象観測、予報、警報業務を行っています。かつては海洋気象台として、東シナ海などの広範な海域の観測を担う重要な拠点でした。
沿革
長崎地方気象台の歴史は、1878年(明治11年)7月1日に設立された「長崎測候所」に遡ります。これは日本で4番目、九州では最初の測候所であり、「測候所」という名称が初めて使用された施設でもあります。設立当初は内務省直轄でしたが、1887年に長崎県へ移管され、1939年に再び国営となりました。
1947年(昭和22年)4月30日、南山手町の旧長崎要塞司令部跡地に「長崎海洋気象台」が創設されました。これに伴い、従来の長崎測候所の業務は海洋気象台へと引き継がれました。長崎海洋気象台は、函館、舞鶴、神戸と並び、全国に4つ存在した海洋気象台の一つとして、気象観測船「長風丸」を用いた海洋観測などで大きな役割を果たしました。

2013年(平成25年)10月1日の組織改編により、長崎海洋気象台は「長崎地方気象台」へと改称され、福岡管区気象台の管轄下に入りました。この改編後も、長崎県内の気象観測や防災業務は継続して行われています。
歴史的エピソード
長崎測候所は、かつて長崎市内の時報の役割も担っていました。1895年からは信号旗を用いて正午を知らせ、1903年からは長崎市の要請により「午砲台」を設置しました。毎日正午に大砲を空砲として撃つことで市民に時刻を伝えており、この午砲は1941年まで続けられました。
業務内容
現在の長崎地方気象台は、長崎県全域を対象とした天気予報や警報の発表を行っています。予報区分は県内を平戸・松浦、佐世保・東彼、諫早・大村、長崎、島原半島、西彼杵半島、五島、壱岐、対馬の各地域に細分化しています。また、海上警報の発表を通じて、周辺海域の安全確保にも寄与しています。
よくある質問
長崎地方気象台はいつ設立されましたか?
長崎海洋気象台からいつ名称が変わりましたか?
かつて行われていた午砲とは何ですか?
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参考文献
- 市制百年 長崎年表(1989年4月1日 長崎市役所)
- 長崎新聞コラム「どんの山」(2003年10月5日付)
- 日本経済新聞「海洋気象台」、組織改編で消滅(2013年1月30日)