歴史
大日本帝国の朝鮮統治における内鮮一体政策の歴史と展開

大日本帝国による朝鮮統治のスローガン「内鮮一体」の歴史的背景、皇民化政策における展開、および関連する同化政策について解説する百科事典記事。
📌 主なポイント
- ✓内鮮一体は、1936年から1945年にかけての大日本帝国的朝鮮統治のスローガンである。
- ✓第8代朝鮮総督の南次郎が国策として強く提唱・推進した。
- ✓皇民化政策や大陸兵站基地化の一環として、教育令の改正や志願兵制度の創設などが行われた。
内鮮一体(ないせんいったい、朝鮮語:내선일체)は、大日本帝国が1936年(昭和11年)から1945年(昭和20年)にかけての朝鮮統治において掲げたスローガンである。朝鮮を日本本土(内地)と一体化させようとする同化政策(皇民化政策)の一環として位置づけられた。
歴史的背景と展開
「内鮮一体」や「日鮮融和」というスローガンが最初に用いられたのは、1920年(大正9年)に朝鮮の最後の皇太子である李王垠と梨本宮方子女王が成婚した際のことである。その後、1931年(昭和6年)に満洲事変が勃発すると、当時の朝鮮総督であった宇垣一成によって朝鮮の同化を目的とした内鮮融和運動が提唱された。
1936年(昭和11年)に宇垣の後任として第8代朝鮮総督に就任した南次郎は、内鮮融和をさらに進めたスローガンとして「内鮮一体」を強く打ち出した。南は、国民精神総動員朝鮮連盟役員総会の席上で、「内鮮一体の究極の姿は、内鮮の無差別・平等に到達すべきである」と主張していた。

施策と皇民化
内鮮一体のスローガンの下、朝鮮の「大陸兵站基地」としての役割強化、朝鮮人による戦争協力、そして皇民化が進められた。1938年(昭和13年)には第三次朝鮮教育令が改正され、朝鮮語を母語とし国語(日本語)を常用しない者の区別が解消されるなど、同化教育が推進された。また、陸軍特別志願兵制度が創設され、朝鮮人日本兵の採用が始まったほか、1940年(昭和15年)の「朝鮮映画令」により朝鮮映画も朝鮮総督府の統制下に置かれた。
よくある質問
内鮮一体とは何ですか?
大日本帝国が1936年から1945年までの朝鮮統治において掲げたスローガンであり、内地と朝鮮を一体化させようとする同化政策(皇民化政策)の一つです。
内鮮一体を強力に推進した朝鮮総督は誰ですか?
第8代朝鮮総督を務めた南次郎が主提唱者として知られています。
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参考文献
朝日新聞社 編『戦ふ朝鮮: 写真報道』朝日新聞社、1945年。
林琪禎『帝国日本の教育総力戦』臺大出版中心、2015年。
林琪禎『帝国日本の教育総力戦』臺大出版中心、2015年。