日本の歴史的人物

中岡艮一 - 原敬暗殺事件の実行犯の生涯と経歴

中岡艮一 - 原敬暗殺事件の実行犯の生涯と経歴
原敬首相暗殺事件を引き起こした中岡艮一の生涯、経歴、獄中生活、満州での動向、イスラム教への改宗について事実に基づいて解説する百科事典記事。

📌 主なポイント

  • 中岡艮一は1903年栃木県生まれの鉄道員・転轍手。
  • 1921年11月4日に東京駅で原敬首相を短刀で刺殺した。
  • 無期懲役の判決を受け、のちに恩赦で出獄した。
  • 満州での勤務を経てイスラム教に入信した。

中岡 艮一(なかおか こんいち、1903年〈明治36年〉10月12日 - 1980年〈昭和55年〉10月18日)は、日本の鉄道員、陸軍職員。1921年(大正10年)に当時の内閣総理大臣・原敬を暗殺した人物として知られる。

生涯

生い立ちと鉄道員時代

1903年、足尾銅山の技師である父・精の子として栃木県に生まれる。高等小学校を中退後、印刷工場の見習い工員などを経て、1919年(大正8年)11月から山手線大塚駅の駅夫見習いとなり、のちに転轍手(分岐器の操作係)として勤務した。

中岡艮一に関する資料画像
中岡艮一に関する資料画像

原敬暗殺事件

大塚駅に勤務していた1921年、原敬首相の政策に反感を抱き、同年11月4日の夜、東京駅乗車口(現在の丸の内南口)において、立憲政友会京都支部大会へ向かうため改札口へ向かっていた原首相を短刀で刺殺した。上司の影響や、事件の37日前に発生した安田善次郎暗殺事件の影響を受けたともされている。

服役と出獄後

事件により無期懲役の判決を受けたが、恩赦により1934年(昭和9年)に出獄した。獄中では回想録『鉄窓十三年』を執筆している。出獄後は満州に渡り、陸軍司令部や荘河県公処などで勤務した。満州滞在時にはタタール人に興味を持ち、1937年(昭和12年)2月22日に神戸モスクで入信してイスラム教徒となった。1941年(昭和16年)には現地で姜鳳芝と結婚している。戦後は日本へ帰国し、1980年に77歳で死去した。

親族

林学博士で政治家の中村弥六は大叔父にあたる(中岡の父・精の叔父)。事件発生当時、中岡慎太郎の孫であると報じた新聞もあったが、のちに誤報とされている。

よくある質問

中岡艮一は何をした人物ですか?
1921年に当時の内閣総理大臣であった原敬を東京駅で暗殺した鉄道員です。
中岡艮一の生年はいつですか?
1903年(明治36年)10月12日です。
事件後の経歴はどのようなものですか?
無期懲役刑を受けて服役したのち、恩赦により1934年に出獄しました。その後は満州に渡り陸軍関連の職に就き、戦後に帰国しました。

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参考文献

安田善次郎翁暗殺事件 / 原敬暗殺 / 朝日新聞「中岡艮一君結婚」1941年2月19日付け朝刊7頁 / 大阪朝日新聞 1936年11月7日 / 神戸新聞 1937年2月22日 / 日外アソシエーツ whoplus / ペルソナ 三島由紀夫伝 / 長文連『原首相暗殺』