志賀重昂の『日本風景論』:明治期の地理学と美意識

📌 主なポイント
- ✓『日本風景論』は1894年(明治27年)に政教社から刊行された。
- ✓著者の志賀重昂は、札幌農学校出身の地理学者である。
- ✓日本の風景美を気候、水蒸気、火山、流水の4要素から分析した。
- ✓本書は当時の日本でベストセラーとなり、国粋主義的な言論にも影響を与えた。
『日本風景論』は、地理学者・志賀重昂によって執筆され、1894年(明治27年)に政教社から刊行された地誌である。本書は、日本の風景の美しさを地理学的な視点から体系的に称揚した著作として知られ、当時の日本においてベストセラーとなった。
背景と刊行の経緯
著者の志賀重昂は、札幌農学校を卒業後、海軍の軍艦「筑波」でのオセアニア巡行などを経て、三宅雪嶺らとともに政教社を設立した。同社が発行する雑誌『日本人』や『亜細亜』において、反欧化主義・国粋主義的な立場から言論活動を展開していた志賀は、これらの雑誌に掲載された論説を加筆・再構成する形で本書を完成させた。
執筆の背景には、志賀自身の体験が色濃く反映されている。特にオセアニア巡行の際、現地の住民から自国の風土を愛する姿勢を目の当たりにした経験が、志賀が日本という国家のアイデンティティを再考する契機となった。また、本書にはジョン・ラボックやジョン・ミルンといった西洋の地理学・自然科学関連の著作からの引用や影響が見られる一方で、当時の日本における西洋知識の受容と、伝統的な美意識との葛藤も垣間見える。
内容の構成と特徴
本書は、序論、本論(4章)、提言、雑感から構成されている。志賀は日本の風景美を「気候・海流の多様性」「水蒸気の多量」「火山岩の多さ」「流水の激しい浸食」という4つの要素から説明した。
- 序論:「江山洵美是吾郷」を引用し、日本人が自国の風景を愛する必然性を論じた。
- 本論:日本の火山や水蒸気現象を具体的に解説し、特に富士山を名山として称揚した。
- 提言:文人や芸術家に対し、日本の自然を題材に創作を行うよう呼びかけた。また、自然保護の必要性や、地質学における日本語術語の確立を提唱した。
本書は、自然科学的な知識と、和歌や漢詩といった情緒的な文学表現が混在している点が特徴である。これは、西洋の近代的な知見を取り入れつつも、伝統的な感性を重視した明治20年代の読者層に向けた戦略的な記述であったと評価されている。
歴史的意義と影響
『日本風景論』は、単なる地理学の解説書にとどまらず、明治期の日本人が自己のアイデンティティを確立しようとする過程を映し出す作品として位置づけられる。一方で、一部の記述において典拠を明示しない引用が行われている点については、後世の研究者から剽窃であるとの批判もなされている。しかし、当時の啓蒙時代における翻訳・翻案に対する寛容な風潮を考慮すべきだという指摘もあり、その評価は多角的に行われている。
よくある質問
『日本風景論』の主な目的は何ですか?
志賀重昂が日本の風景を称揚する際に用いた4つの要素とは何ですか?
本書にはどのような批判がありますか?
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参考文献
- 志賀重昂『日本風景論』政教社、1894年。
- 森谷宇一『志賀重昂』吉川弘文館、2002年。
- 山本教彦・上田誉志美『明治の風景』1997年。
- 増野恵子「志賀重昂『日本風景論』の地理学的考察」2008年。