日本の歴史的行政区画

新治県(明治時代の行政区画)

新治県(明治時代の行政区画)
明治時代の1871年から1875年まで存在した新治県の歴史、管轄地域、および廃止に至る経緯について解説します。

📌 主なポイント

  • 1871年(明治4年)の第1次府県統合により設置された。
  • 県庁は常陸国新治郡の土浦(現在の土浦市)に置かれた。
  • 1875年(明治8年)の第2次府県統合により廃止され、茨城県と千葉県に分割編入された。

新治県(にいはりけん)は、明治時代初期の1871年(明治4年)から1875年(明治8年)まで存在した日本の県です。現在の茨城県南部および千葉県東部にまたがる地域を管轄し、県庁は新治郡土浦(現在の土浦市)に置かれました。

明治4年12月時点の行政区画地図における新治県
後年作成された明治4年12月の行政区画地図における新治県

沿革

1871年11月14日(明治4年11月14日)、第1次府県統合により、常陸国の麻生県、石岡県、土浦県、志筑県、牛久県、若森県、松川県、龍崎県、および下総国の多古県、小見川県、高岡県が廃止・統合され、新治県が設置されました。県庁は土浦城の本丸御殿に置かれました。

その後、1875年(明治8年)5月7日の第2次府県統合により新治県は廃止されました。管轄地域は利根川を境界として分割され、利根川以北は茨城県へ、以南は千葉県へと編入されました。

管轄地域

新治県は、常陸国および下総国の以下の郡を管轄していました。

  • 常陸国:鹿島郡、行方郡、新治郡、筑波郡、信太郡、河内郡
  • 下総国:香取郡、海上郡、匝瑳郡

歴代長官

新治県の行政を担った主な長官は以下の通りです。

  • 池田種徳(権令):1871年12月25日 - 1872年2月28日
  • 土肥実光(参事):1872年2月12日 - 1872年6月29日
  • 中山信安(参事・権令):1872年7月5日 - 1875年5月7日

よくある質問

新治県はいつからいつまで存在しましたか?
1871年(明治4年)11月14日から1875年(明治8年)5月7日まで存在しました。
新治県の県庁はどこにありましたか?
常陸国新治郡の土浦(現在の茨城県土浦市)に置かれていました。
新治県は廃止後、どの県に引き継がれましたか?
利根川を境界として、以北は茨城県、以南は千葉県にそれぞれ編入されました。

関連記事

廃藩置県茨城県千葉県土浦市

参考文献

  • 『太政官日誌 明治四年』第98号
  • 『太政官日誌 明治五年』第2号、第5号、第45号
  • 『太政官日誌 明治六年』第166号