人物

仁杉巌:日本の鉄道技術者および実業家

日本の鉄道技術者、実業家であり第9代日本国有鉄道(国鉄)総裁を務めた仁杉巌の生涯、経歴、および功績について解説します。

📌 主なポイント

  • 1915年5月7日生まれ、2015年12月25日に100歳で死去した。
  • 東京帝国大学工学部土木工学科を卒業後、鉄道省および国鉄で技術者として勤務した。
  • 1954年の信楽線第一大戸川橋梁復旧において、日本初の本格的なプレストレスト・コンクリート橋を採用した。
  • 1983年から1985日まで第9代日本国有鉄道(国鉄)総裁を務めた。
  • 西武鉄道の副社長や社長、西武ライオンズのオーナー代行などを歴任した。

仁杉 巌(にすぎ いわお、1915年〈大正4年〉5月7日 - 2015年〈平成27年〉12月25日)は、日本の鉄道技術者、実業家。第9代日本国有鉄道(国鉄)総裁を務めた人物である。

生涯と経歴

東京市牛込区(現在の東京都新宿区西五軒町)に生まれ、静岡県駿東郡清水町で育った。1938年4月に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業後、鉄道省に入省した。長年にわたり国鉄技師として勤務し、1965年4月に常務理事に就任した。

技術者としての大きな功績として、1954年に発生した信楽線の第一大戸川橋梁復旧において、日本初となる本格的なプレストレスト・コンクリート橋を採用し、日本の橋梁技術に大きな革新をもたらしたことが挙げられる。この新幹線建設等における功績により、1966年に紫綬褒章を受章した。1968年4月に国鉄を退職した。

民間企業での活動と国鉄総裁への就任

国鉄退職後は西武鉄道に入社し、専務取締役や副社長を歴任した。その後、1979年10月に日本鉄道建設公団総裁に就任し、1983年12月2日に第9代国鉄総裁に就任した。

総裁就任当初は国鉄分割民営化に賛同の立場をとっていたが、労働組合からの強い反発に直面した。そのため、独自の国鉄再建を目指す非分割民営化の方針へと転換したが、これにより政府内で孤立を深め、1985年6月24日に総裁を辞任した。

晩年と西武グループでの役職

国鉄総裁辞任後は再び西武グループに戻り、1986年6月に西武鉄道代表取締役副社長、1987年4月から1998年7月まで西武ライオンズのオーナー代行を務めた。また、1988年3月にはエフエム埼玉(現・エフエムナックファイブ)の代表取締役社長に就任し、1989年1月から1996年まで西武鉄道代表取締役社長を務めた。退任後は同社代表取締役相談役を歴任し、1988年には勲一等瑞宝章を受章した。

晩年も講演活動やメディア出演など精力的な活動を続け、2015年5月には満100歳の誕生日を迎えた。同年12月25日、東京都渋谷区の病院にて肺炎のため100歳で死去した。

よくある質問

仁杉巌はどのような人物ですか?
日本の鉄道技術者であり実業家です。国鉄技師として橋梁技術の発展に貢献したほか、第9代日本国有鉄道総裁や西武鉄道社長などを歴任しました。
国鉄総裁としての在任期間はいつですか?
1983年12月から1985年6月まで第9代国鉄総裁を務めました。
技術者としての主な業績は何ですか?
1954年の信楽線第一大戸川橋梁復旧に際し、日本初となる本格的なプレストレスト・コンクリート橋を採用し、橋梁技術の革新に寄与しました。

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参考文献

  • 種村直樹「国鉄総裁の椅子」『日本国有鉄道 大いなる旅路』鉄道ジャーナル社、1999年、136-138頁。
  • 「元国鉄総裁の仁杉巌氏死去」共同通信、2016年1月4日。
  • 「仁杉前国鉄総裁が古巣へ 西武鉄道副社長に」『朝日新聞』1986年5月29日、8面。
  • 「元国鉄総裁の仁杉巌氏が西武オーナー代行に」『読売新聞』1987年4月23日、17面。
  • 「西武鉄道社長に仁杉巌氏 堤氏は会長に」『毎日新聞』1989年2月1日、10面。
  • 「仁杉巌氏が死去 元国鉄総裁、100歳」『日本経済新聞』2016年1月4日。