ノルベルト・ヨークル:アルバニア語学の先駆者

📌 主なポイント
- ✓ノルベルト・ヨークルは「アルバニア語学の父」と称されるオーストリアの言語学者である。
- ✓言語民俗学的手法「言葉と物」を用いた研究でアルバニア語学に多大な貢献をした。
- ✓1942年、ホロコーストの犠牲となり、絶滅収容所へ送られ死亡した。
ノルベルト・ヨークル(Norbert Jokl, 1877年2月25日 - 1942年5月頃)は、オーストリアの言語学者であり、アルバニア語学の発展に多大な貢献をしたことから「アルバニア語学の父」と称されています。ユダヤ系の家系に生まれ、印欧語学、特にアルバニア語の比較言語学および文化史的研究において卓越した業績を残しました。

経歴と研究
ヨークルは南モラヴィアのビーゼンツ(現チェコ共和国ブゼネツ)で生まれました。ウィーン大学で法学を学び、1901年に最優等の成績で卒業しましたが、その後言語学へ転向しました。印欧語学、スラヴ語学、ラテン語学を専攻し、1903年からはウィーン大学図書館に勤務しながら研究を続けました。
彼の代表的な著作である『アルバニア語の領域からの言語・文化史的研究』(Linguistisch-kulturhistorische Untersuchungen aus dem Bereiche des Albanischen, 1923年)は、言語民俗学的手法である「言葉と物(Wörter und Sachen)」の観点を取り入れた画期的な研究であり、アルバニア語学における古典として高く評価されています。
迫害と最期
1938年のオーストリア併合後、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が激化すると、ヨークルは大学での職を追われました。彼はアルバニアへの亡命を模索し、現地の知識人やイタリアの外交官らが支援を試みましたが、ナチス当局の妨害により実現しませんでした。1942年3月、ヨークルはゲシュタポによって逮捕され、絶滅収容所へ送られました。彼の死については、ミンスク近郊のマリィ・トロステネツ絶滅収容所で殺害されたとする説が有力ですが、詳細は不明な点も残されています。
蔵書の行方
ヨークルが遺した膨大な研究資料や蔵書は、彼自身の意向に反してナチス当局や大学関係者によって差し押さえられ、その多くが散逸しました。現在、彼の研究成果の大部分は行方不明となっており、アルバニア語学史における大きな損失とされています。
よくある質問
ノルベルト・ヨークルは何をした人ですか?
なぜ「アルバニア語学の父」と呼ばれるのですか?
彼の蔵書はどうなりましたか?
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参考文献
- Çefa, Kolec (2008年5月7日). “An unpublished letter of Fishta on the defense of Jokl” (アルバニア語).
- Jacques, Edwin E. (1995). The Albanians: An Ethnic History from Prehistoric Times to the Present. McFarland & Company. p. 33. ISBN 9780899509327.