日本の元号
応長:日本の元号(1311年-1312年)
応長(おうちょう)は、日本の元号の一つ。1311年から1312年までの期間を指し、花園天皇の治世下で用いられました。改元の経緯や当時の鎌倉幕府の状況を解説します。
📌 主なポイント
- ✓応長は1311年から1312年まで使用された日本の元号である。
- ✓改元の理由は当時の疫病流行によるものである。
- ✓出典は中国の歴史書『旧唐書』である。
応長(おうちょう)は、日本の元号の一つ。延慶の後、正和の前にあたり、1311年から1312年までの期間を指す。この時代の天皇は花園天皇であり、鎌倉幕府では守邦親王が将軍を務めていた。
改元
延慶4年4月28日(ユリウス暦1311年5月17日)、疫病の流行を理由として改元が行われた。その後、応長2年3月20日(ユリウス暦1312年4月27日)に正和へと改元された。
出典
元号の出典は、『旧唐書』礼儀志にある「応長暦之規、象中月之度、広綜陰陽之数、傍通寒暑之和」という一節から採られたものである。
当時の政治状況
応長年間は鎌倉幕府の執権政治において転換期にあたる時期であった。1311年(応長元年)には、第10代執権の北条師時が死去し、その後を受けて北条宗宣が第11代執権に就任した。また、同年には前執権である北条貞時も死去している。
伝承
神奈川県横浜市の富岡八幡宮などに伝わる伝承では、応長年間に大津波が発生したとされる。しかし、公的な記録や他の史料による裏付けは乏しく、その実態や規模については歴史学上の議論が続いている。
よくある質問
応長はいつからいつまで続きましたか?
1311年から1312年まで続きました。
応長に改元された理由は?
当時の疫病流行を鎮めるための改元であったとされています。
応長年間に発生したとされる津波の記録はありますか?
富岡八幡宮などの伝承には記述がありますが、公的な記録による裏付けは確認されていません。
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参考文献
- 『旧唐書』礼儀志
- 『鎌倉年代記』