日本の軍人

大久保春野:明治・大正期の陸軍大将

大久保春野:明治・大正期の陸軍大将
明治から大正期にかけて活躍した陸軍軍人、大久保春野の経歴、軍歴、および功績について解説します。

📌 主なポイント

  • 1846年、遠江国(現在の静岡県磐田市)に生まれる。
  • 日清戦争および日露戦争に従軍し、陸軍大将まで昇進した。
  • 1907年に男爵を授けられ華族に列せられた。
  • 1915年に死去し、特旨により従二位に叙された。

大久保 春野(おおくぼ はるの、1846年10月8日 - 1915年1月26日)は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍大将。朝鮮駐剳軍司令官や第3師団長、第6師団長などの要職を歴任した。

大久保春野の肖像
大久保春野の肖像

経歴

遠江国磐田郡見付宿(現在の静岡県磐田市)に生まれる。生家の大久保家は、小田原藩主大久保氏の祖である忠世の弟、忠佐の後裔であり、代々淡海国玉神社の神職を務めた家柄であった。父の大久保忠尚は明治維新後に政府に出仕し、海軍主計大監を務めた。

春野は戊辰戦争に遠州報国隊として父と共に従軍した。維新後、1870年(明治3年)に大阪兵学校の生徒となり、同年10月からフランスへ留学。1875年(明治8年)に帰国し、陸軍省に出仕した。1877年(明治10年)に陸軍歩兵少佐に任官されて以降、参謀本部や熊本鎮台などでキャリアを重ねた。

軍歴と戦歴

日清戦争では歩兵第7旅団長として出征し、海城や鳳凰城方面の守備隊司令官を務めた。その後、近衛歩兵第1旅団長を経て、1900年(明治33年)に陸軍中将へ昇進した。1902年(明治35年)には第6師団長に親補され、日露戦争では第2軍、次いで第4軍隷下として沙河会戦や奉天会戦に参加した。

戦後の1906年(明治39年)には第3師団長に転じ、1907年(明治40年)には男爵を授けられ華族に列せられた。1908年(明治41年)に陸軍大将に進級し、韓国駐剳軍司令官に就任。1910年(明治43年)の韓国併合に伴い、朝鮮駐剳軍司令官となった。1911年(明治44年)に後備役となり、1915年(大正4年)に死去した。

栄典

その軍功により、勲一等旭日桐花大綬章や功二級金鵄勲章などを受章した。また、フランスのレジオンドヌール勲章をはじめ、バイエルン王国、オーストリア=ハンガリー帝国、大韓帝国など各国からも勲章を授与されている。

よくある質問

大久保春野の最終階級は何ですか?
陸軍大将です。
大久保春野はどのような戦争に従軍しましたか?
戊辰戦争、日清戦争、台湾征服戦争、日露戦争に従軍しました。
大久保春野の墓所はどこですか?
東京都の青山霊園にあります。

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参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 『官報』各号(叙任及び辞令関連)