諡(おくりな)の歴史と制度:漢字文化圏における死後の評価
📌 主なポイント
- ✓「諡(おくりな)」は、漢字文化圏において貴人の死後に生前の事績を評価して贈る称号である。
- ✓一般的な立諡制度の起源は、中国の周代中期(紀元前9世紀頃)とされる。
- ✓中国の諡号選定の準拠となった最古の記述として、『逸周書』の「諡法解」が知られている。
- ✓秦の始皇帝は一時的に立諡制度を廃止したが、前漢以降の歴代王朝に踏襲された。
諡(し、あるいは諡号・しごう)は、漢字文化圏において、主に帝王や相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読みである「おくりな」は、「贈り名」を意味する。
概要と起源
広義には国家が与える公の諡と、個人が付ける私諡があるが、単に「諡」といったときには公の諡を指す。諡号を奉る行為は、王権継承と即位を正統化するという政治的な意味を持っていた。
中国の殷朝および斉の初期では先王等に十干を付した特異な諡号を奉っていたが、一般的な立諡制度の起源は周代中期(紀元前9世紀頃)といわれる。天子のみならず、諸侯や卿大夫、高官、名儒等に贈られ、時代が下ると高僧も対象となった。
初期の諡号には必ずしも褒貶の義はなかったようであるが、次第に生前の行跡に照らして追号されるようになった。中国の戦国時代に成立した『逸周書』の一篇「諡法解」は諡法について定めた最初の記述であり、長く諡号選定の準拠とされた。
中国の諡号制度
秦の始皇帝は、死後に子や臣下によって君主の業績があげつらわれることは不敬であるとして、一時的に立諡制度を廃止した。しかし、前漢以降は歴代王朝に踏襲され、皇帝や后妃、臣下にそれぞれ異なる基準で諡が贈られるようになった。
帝王の諡と廟号
前漢以降の皇帝には、高皇帝・文皇帝・武皇帝などの帝号(諡号)と、太祖・高祖・太宗などの廟号が制定された。隋以前は帝号が主に用いられたが、唐以後は廟号を用いることが多くなった。
東洋史学者の平勢隆郎は、諡字選定には春秋学で重要な三つの美諡である「文」「武」「成(または宣・襄)」の法則があり、王朝の創始者が文または武となり、正統な後継者が成、宣、襄などを継承していく傾向があったことを指摘している。
諡号には、良い事績を称える「美諡」、中庸な「平諡」、悪い事績に対する「悪諡」が存在した。ただし、実質的に悪諡が贈られる例は少なく、婉曲な批判として平諡や強い感情を含まない美諡が使われることもあった。
后妃および臣下の諡
后妃に対する諡号は前漢代から見られるが、史書における表記では、自身の諡の前に配偶者である皇帝の諡を冠する形式が取られた。また、家臣などに対して死後に生前より上位の爵位号を贈ることは爵諡と呼ばれ、後世に関羽などのように神格化されて幾多の王号を贈られた例もある。
日本の諡号
日本における天皇の崩御後の称号には、諡号と追号の別がある。諡号には和風の「国風諡号」と、中国風の「漢風諡号」の2種類が存在する。奈良時代から平安初期にかけて、天皇や后妃、皇太子の諡号には和風と漢風が併用されていた。
よくある質問
「諡(おくりな)」とは何ですか?
諡号にはどのような種類がありますか?
中国で諡号選定の基準となった文献は何ですか?
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参考文献
- これらは史料に諡と明記されているわけではなく実態は不明であり『史記』周本紀で武王が父祖に贈った「文王」「太王」「王季」が明記された最古の諡(謚)である。
- 平勢隆郎『世界の歴史2 中華文明の誕生』中央公論社、2001、P28-36