オリヴァー・P・モートン:南北戦争期のインディアナ州知事と連邦上院議員

📌 主なポイント
- ✓1861年から1867年まで第14代インディアナ州知事を務めた。
- ✓南北戦争中、北軍への兵員・資金提供を積極的に行い、リンカーン政権を支えた。
- ✓1867年から1877年まで連邦上院議員として活動した。
オリヴァー・ハザード・ペリー・スロック・モートン(Oliver Hazard Perry Throck Morton、1823年8月4日 - 1877年11月1日)は、アメリカ合衆国の政治家。共和党に所属し、南北戦争期にはインディアナ州知事として北軍の戦争遂行を強力に支援したことで知られる。戦後は連邦上院議員として10年間活動した。

生い立ちと初期の経歴
1823年、インディアナ州ウェイン郡に生まれる。幼少期に母を亡くし、祖父母に育てられた。マイアミ大学やシンシナティ大学で学んだが卒業はせず、独学で法律を習得して弁護士となった。センターヴィルで法曹として成功を収めた後、1850年代に共和党へ加わり政界へ進出した。
インディアナ州知事としての活動
1860年にインディアナ州副知事に当選。翌1861年、知事ヘンリー・S・レインが連邦上院議員に選出されたことに伴い、副知事から知事に昇任した。南北戦争中、モートンはエイブラハム・リンカーン大統領の政策を熱烈に支持し、北軍への人員や資金の供給に尽力した。
戦時下において、モートンは南部支持者や反戦派を監視するための諜報ネットワークを構築した。この強権的な手法は民主党などから批判を浴びたが、州内の治安維持を優先する姿勢は支持を集め、1864年の選挙で再選を果たした。

連邦上院議員
1867年から死去する1877年まで連邦上院議員を務めた。共和党内ではストルワート派の有力者として活動し、不換紙幣の発行を容認する立場をとるなど経済政策でも議論を呼んだ。1876年の大統領選では共和党候補を目指したが、健康上の理由からラザフォード・ヘイズに敗れた。その後、選挙結果を巡る紛争を解決するための選挙委員会委員を務めた。
晩年と評価
1865年頃から麻痺性の発作に悩まされ、晩年は健康状態が悪化した。1877年、公務でオレゴン州を訪問中に発作を起こし、インディアナポリスで死去した。インディアナ州議会議事堂や国立彫像ホール・コレクションには、彼の功績を称える彫像が設置されている。