日本の地理・歴史
近江八景の歴史と風景評価の展開

近江国(滋賀県)の優れた風景から選ばれた8つの景勝地「近江八景」の由来、構成される名所、文学や絵画への影響、および現代の状況について解説します。
📌 主なポイント
- ✓近江八景は、中国の「瀟湘八景」になぞらえて選定された日本初期の八景の一つである。
- ✓成立の背景には、近衛信尹が慶長年間頃に琵琶湖周辺の景勝地を選定したとする説が有力視されている。
- ✓浮世絵師の歌川広重をはじめ、多くの絵画や文学作品に大きな影響を与えた。
近江八景(おうみはっけい)は、日本の近江国(現・滋賀県)に見られる優れた風景から「八景」の様式に則って8つを選んだ風景評価、あるいはその題目の一つである。
中国湖南省の洞庭湖および湘江から支流の瀟水にかけてみられる水の情景を描いた「瀟湘八景図」(北宋時代成立)になぞらえて、琵琶湖の南部から8箇所の名所を選んだものである。八景としては日本で最も初期に選定されたとされ、後の日本各地の八景にも影響を及ぼしたとされる。
構成する八つの名所
近江八景として選ばれたのは以下の8つの情景である。
- 石山秋月 = 石山寺(大津市)
- 勢多夕照 = 瀬田の唐橋(大津市)
- 粟津晴嵐 = 粟津の戦い粟津原(大津市)
- 矢橋帰帆 = 矢橋(草津市)
- 三井晩鐘 = 三井寺(園城寺)(大津市)
- 唐崎夜雨 = 唐崎神社(大津市)
- 堅田落雁 = 浮御堂(大津市)
- 比良暮雪 = 比良山系(大津市)








成立の由来
文献上の記録としては、明応9年(1500年)に近衛政家が八景歌を詠んだとされる記録があるが、現在では、近衛家17代当主である近衛信尹が慶長年間頃に中国の瀟湘八景にならい、琵琶湖周辺の景勝地を選んで近衛八景を発案したとする説が有力視されている。








美術・文学への影響
近江八景は、江戸時代の浮世絵師である歌川広重による錦絵の揃物など、多くの絵画や文学作品のモチーフとして取り上げられた。また、大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第1集東海道編においてもすべての景勝地が歌詞に詠み込まれている。

景観の変遷と現代
時代の変化や地域開発に伴い、当時の景観をそのまま留めることが難しくなった場所もある。「粟津晴嵐」の松は減少が伝えられ、「矢橋帰帆」の周辺水域は琵琶湖総合開発事業によって埋め立てが行われるなど変化が生じている。一方で、歴史的な名称や地名としては現在も継承されている。
よくある質問
近江八景とは何ですか?
近江国(現在の滋賀県)の優れた風景の中から、中国の「瀟湘八景」になぞらえて選ばれた8つの景勝地のことです。
近江八景はいつ頃成立しましたか?
諸説ありますが、近衛家17代当主の近衛信尹が慶長年間頃に発案したとする説が有力とされています。
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琵琶湖歌川広重滋賀県浮世絵
参考文献
改訂新版 世界大百科事典, デジタル大辞泉, 精選版「八景」コトバンク; 筑波大学図書館情報メディア系/大学院図書館情報メディア研究科「日本における「八景」について~景物の歴史的変遷を中心に~」; 読売新聞オンライン「消える近江八景の松…戦前500本、今や3本」