日本の河川

太田川(広島県を流れる一級河川)

太田川(広島県を流れる一級河川)
広島県廿日市市の冠山を源流とし、瀬戸内海へ注ぐ一級河川・太田川の歴史、地理、治水事業、水力発電に関する詳細な解説。

📌 主なポイント

  • 太田川は広島県廿日市市の冠山を源流とする一級河川である。
  • 流域の中流域は環境省の名水百選に選定されている。
  • 下流部では複数の分流を経て広島デルタを形成し、瀬戸内海に注いでいる。

太田川(おおたがわ)は、広島県西部を流れる一級河川であり、太田川水系の本流である。中流域は環境省の名水百選に選定されている。

地理

広島県廿日市市の冠山(標高1,339m)を源流とし、柴木川、筒賀川、滝山川、水内川などの支流を合わせる。可部付近では大毛寺川、三篠川、根谷川が合流し、高瀬堰下流で旧流路の古川を分流・合流しながら広島市に至る。上流部は急峻な地形であり、滝山川・柴木川の上流には三段峡や滝山峡などの渓谷が形成され、西中国山地国定公園に指定されている。下流部では広島デルタを形成し、瀬戸内海へ注ぐ。

名称の由来

上流域では安芸太田町の一帯が古くは太田郷と呼ばれていたことから「太田川」と呼ばれ、下流域では佐東郡の名から「佐東川」と呼ばれていた。近世以降にしだいに佐東川の名が消え、「太田川」の名に統一された。太田郷の名称は、安芸国最大の沖積平野で大きな田が作られていたことに由来するといわれている。

歴史と治水・開発の変遷

太田川の下流域は、上流からの土砂堆積によって広大な三角州(広島デルタ)を形成してきた。天正年間(1589年以降)、毛利輝元が太田川河口部に広島城を築城したことを契機に、本格的なデルタ地帯の干拓や治水が進められた。関ヶ原の戦い以後は福島氏、続いて浅野氏が広島藩を治め、新田開発や灌漑用水の整備が行われた。江戸時代には、丸子市兵衛による小田定用水や、西原村の嘉兵衛による八木用水などの用水路が開削された。

明治時代以降、近代的な水道事業や水力発電の導入が進められた。一方で、大正時代から昭和時代初頭にかけて度々洪水が発生したため、内務省により太田川放水路の開削計画が立案された。第二次世界大戦による中断を経て、戦後に工事が再開され、1967年に放水路および関連施設が完成した。これにより広島市中心部は水害から守られるようになった。

水力発電

太田川水系は急峻な地形と豊富な水量を持つことから、戦前から水力発電の開発が進められてきた。立岩ダムなどの施設が建設され、広島の都市発展を支える電力供給源となった。戦後も水力発電所の増設が行われ、現在に至るまで中国地方の電力供給に寄与している。

よくある質問

太田川の源流はどこですか?
広島県廿日市市にある冠山(標高1,339m)です。
太田川の名称の由来は何ですか?
上流域にあった安芸太田町の古称「太田郷」に由来し、大きな田が作られていたことから名付けられたとされています。
太田川放水路はいつ完成しましたか?
昭和初期に計画が始まり、戦後の工事中断を経て、1967年(昭和42年)にすべての関連施設が完成しました。

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参考文献

環境省 名水百選詳細ページ / 国土交通省中国地方整備局 太田川水系の概要 / 建設省中国地方建設局 太田川工事事務所編『太田川史』