軍事史
エルドラド・キャニオン作戦:1986年の対リビア空爆

1986年4月15日に実施されたアメリカ軍によるリビア空爆「エルドラド・キャニオン作戦」の背景、経過、および結果について解説します。
📌 主なポイント
- ✓作戦名は「エルドラド・キャニオン作戦」であり、1986年4月15日に実施された。
- ✓攻撃の直接的な引き金は、西ベルリンのディスコ爆破事件に対する報復であった。
- ✓作戦の主目的の一つはムアンマル・アル=カッザーフィーの暗殺であったが、これは失敗に終わった。
- ✓アメリカ軍はF-111戦闘機1機を失い、乗員2名が戦死した。
エルドラド・キャニオン作戦(Operation El Dorado Canyon)は、1986年4月15日にアメリカ空軍および海軍がリビアに対して実施した大規模な空襲である。この作戦は、リビアの最高指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーの暗殺を主目的の一つとして計画された。
背景
1980年代、アメリカ合衆国はリビアがアブ・ニダルなどのテロ組織を支援していると非難していた。特に1985年のアキレ・ラウロ号事件や、ローマ・ウィーン両空港での同時テロ事件を受け、両国間の緊張は高まった。1986年4月5日に西ベルリンのディスコで発生した爆破事件でアメリカ軍人が犠牲となったことを受け、ロナルド・レーガン政権はリビアへの報復攻撃を決定した。

作戦の経過
攻撃にはイギリスのレイクンヒース空軍基地から出撃したF-111戦闘機およびEF-111電子戦機、さらに地中海に展開していた第6艦隊の空母艦載機が投入された。フランスとスペインが領空通過を拒否したため、イギリスからの部隊はジブラルタル海峡を経由する長距離の迂回ルートを飛行した。

攻撃はトリポリとベンガジの軍事施設を目標に行われ、約15分間にわたりレーザー誘導爆弾などが投下された。この作戦により、アメリカ軍はF-111を1機失い、乗員2名が戦死した。
結果と影響
作戦は軍事目標の破壊には成功したものの、カッザーフィーの暗殺には失敗した。リビア側は民間人を含む死傷者が出たと発表した。この空爆は国際的な非難を浴びたが、米ソ関係や他国との外交関係に決定的な変化は生じなかった。一方で、この報復として1988年にパンアメリカン航空103便爆破事件が発生したとされている。
よくある質問
エルドラド・キャニオン作戦の目的は何でしたか?
リビアによるテロ支援への報復および、最高指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーの暗殺を目的としていました。
なぜイギリスから出撃した航空機は迂回ルートを通ったのですか?
フランスとスペインが領空の通過を拒否したため、大西洋およびジブラルタル海峡を経由する長距離の迂回を余儀なくされました。
この爆撃によるアメリカ軍の損害はありましたか?
はい、F-111戦闘機が1機撃墜され、乗員2名が戦死しました。
関連記事
シドラ湾事件 (1981年)パンアメリカン航空103便爆破事件ムアンマル・アル=カッザーフィー冷戦
参考文献
- 塩尻和子『リビアを知るための60章』明石書店、2006年、134-141頁。
- 「35年経て明かされた米軍の対テロ「極秘暗殺ミッション」 敵地攻撃たった12分 しかし相手を怒らせた」乗りものニュース、2023年4月5日。