歴史
オレゴン条約:1846年の米英間における国境画定条約

1846年6月15日に調印されたオレゴン条約について、背景や条約内容、境界確定の経緯を解説します。
📌 主なポイント
- ✓オレゴン条約は1846年6月15日にワシントンD.C.で調印された。
- ✓イギリスとアメリカの間で発生していたオレゴン国境紛争を終結させた。
- ✓バンクーバー島を除き、北アメリカにおける米英の境界を北緯49度線に平行とすることが定められた。
オレゴン条約(オレゴンじょうやく、英: Oregon Treaty)は、1846年6月15日にワシントンD.C.においてグレートブリテンおよびアイルランド連合王国とアメリカ合衆国との間で調印された条約である。これにより、オレゴン・カントリーの領有権をめぐる国境紛争が終結した。
背景と交渉
1818年の条約以降、オレゴン・カントリーはイギリスとアメリカによって共同占有されていたが、両陣営にとって共同統治は困難なものとなっていた。当初、イギリスはアメリカ大統領ジェームズ・ポークが提案した北緯49度線での国境設定を拒絶し、国内の領土拡張論者は北緯54度40分までの全領域併合を要求した。しかし、米墨戦争の勃発によってアメリカの軍事資源がメキシコ方面へ向かったことが妥協への契機となった。

条約の内容と影響
条約により、北アメリカにおける米英の境界はバンクーバー島を除き北緯49度線に平行とすることが定められた。バンクーバー島はイギリス領となり、のちにカナダが成立するとワシントン州とブリティッシュコロンビア州の間の国境となった。また、ファンデフカ海峡内の境界設定における解釈の違いから、のちにサンファン諸島の領有権をめぐるブタ戦争と呼ばれる危機を引き起こすことになった。
よくある質問
オレゴン条約はいつ調印されましたか?
1846年6月15日に調印されました。
オレゴン条約によってどのような国境が設定されましたか?
バンクーバー島を除き、北アメリカにおける米英の境界が北緯49度線に平行とすることが定められました。
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参考文献
オレゴン条約(1846年)に関する歴史的記録および基礎資料