映画監督

オーソン・ウェルズの生涯と映画芸術

オーソン・ウェルズの生涯と映画芸術
映画史に多大な影響を与えたオーソン・ウェルズの生涯、初期の演劇・ラジオ活動、そして『市民ケーン』をはじめとする映画作品の業績を解説。

📌 主なポイント

  • 1915年5月6日にアメリカ・ウィスコンシン州ケノーシャで生まれた。
  • 1938年のラジオドラマ『宇宙戦争』の演出で広く名を知られるようになった。
  • 初監督映画『市民ケーン』(1941年)はディープフォーカスなどの革新的な技法で映画史に大きな足跡を残した。

オーソン・ウェルズ(George Orson Welles, 1915年5月6日 - 1985年10月10日)は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優である。映画『第三の男』などでの個性的な演技で名優として知られただけでなく、映画監督としても数々の革新的な作品を残した。

初期の経歴と演劇・ラジオ活動

1915年5月6日にウィスコンシン州ケノーシャで生まれた。少年時代から演劇や文学に才能を示し、イリノイ州のトッド校で本格的な演劇制作を経験した。1931年にアイルランドのダブリンにあるゲート劇場で舞台デビューを果たし、その後アメリカに戻ってラジオドラマの演出や出演を手がけた。

1936年には連邦劇場計画(FTP)に参加し、ハイチを舞台にしたシェイクスピア劇『マクベス』の演出を手がけて注目を集めた。さらに共同制作者のジョン・ハウスマンとともに劇団「マーキュリー劇場」を設立し、実験的な舞台公演やラジオドラマの放送を展開した。

1938年10月30日に放送したラジオドラマ『宇宙戦争』の翻案では、臨場感あふれるニュース形式の演出を採用して大きな話題となった。この放送をめぐっては、のちの研究によって大々的なパニックは起きていなかったことが指摘されているが、ウェルズの名前を広く世間に知らしめる契機となった。

ハリウッド進出と『市民ケーン』

ラジオでの実績を買われたウェルズは、RKOと契約を結んでハリウッドへ進出した。全権を委託されて製作した初監督映画『市民ケーン』(1941年)は、新聞王をモデルにした物語や、ディープフォーカス、ローアングルを多用した斬新な撮影技法により、のちの映画史においてきわめて高い評価を受けることになった。

しかし、モデルとなった人物からの激しい反発や興行的な失敗により、ハリウッドでの発言力は低下した。第2作『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942年)は大幅な編集を余儀なくされ、その後も自身の企画が難航するなど不遇の時代を経験することになった。

後年の活動

ハリウッドでの製作体制から離れた後も、『黒い罠』(1958年)や『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』(1965年)などの作品を監督し、独自の映像表現を追求し続けた。後半生には資金難や未完に終わった企画も多かったが、俳優としての出演やテレビ活動などを通じて映画界に足跡を残し、1985年10月10日にカリフォルニア州ロサンゼルスで死去した。

よくある質問

オーソン・ウェルズの代表的な監督作品は何ですか?
代表的な監督作品には『市民ケーン』、『上海から来た女』、『黒い罠』、『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』などがあります。
ラジオドラマ『宇宙戦争』ではどのような演出が用いられましたか?
現代アメリカを舞台に変更し、臨時ニュースや目撃者の回想といったドキュメンタリー形式を模した演出が用いられました。
『市民ケーン』が映画史において評価されている理由は何ですか?
多重多層的な構成や、画面全体にピントを合わせるディープフォーカス、ローアングルの多用など、それまでのハリウッド映画にはなかった斬新な撮影技法を取り入れたためです。

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参考文献

  • Roberts, Jason, and Roberts. "Citizen Kane." The Great Depression and the New Deal: A Thematic Encyclopedia, edited by Daniel Leab, et al., ABC-CLIO, 2009.
  • Rhodes, Lisa. "Welles, Orson." Encyclopedia of American Studies, Johns Hopkins University Press, 2018.
  • Naremore, James. "THE MAGICIAN: Orson Welles and Film Style." The Wiley-Blackwell History of American Film, Wiley, 2011.