日本史
大阪事件 (1885年)

1885年に発生した自由民権運動の激化事件である「大阪事件」について、その背景、計画の概要、および歴史的影響を解説します。
📌 主なポイント
- ✓1885年に発生した自由民権運動の激化事件である。
- ✓大井憲太郎らが朝鮮の独立党を支援し、民主主義革命を目指した計画であった。
- ✓計画は実行前に発覚し、139人が逮捕された。
- ✓1889年の大日本帝国憲法発布に伴う大赦により関係者が釈放された。
大阪事件は、1885年(明治18年)に発生した自由民権運動の激化事件の一つである。自由党左派の活動家らが、朝鮮半島における内政改革と独立を支援し、日本国内の民権運動と結びつけることで民主主義革命を目指した計画であった。

背景と計画
1884年(明治17年)の甲申政変が清国の介入により失敗に終わった後、自由党左派の大井憲太郎らは、日本政府や自由党主流派とは異なるアプローチを模索した。彼らは、朝鮮の独立党勢力を支援することで朝鮮に立憲体制を樹立し、それを足掛かりとして日本国内の政治改革をも実現しようと試みた。
この計画には、景山英子(後の福田英子)や新井章吾らが関与した。彼らは朝鮮に渡航してクーデタを成功させるための準備を進めたが、資金調達のための強盗計画や爆弾製造などの過激な手段が伴っていた。

発覚とその後
計画は実行直前に内部の変心により発覚し、139人が逮捕される事態となった。大井憲太郎や新井章吾は重懲役9年の判決を受け、小林樟雄らは外患罪に問われた。1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布に伴う大赦により、大井らは釈放された。
事件の過程で、加藤宗七、山崎重五郎、土屋市助、川北虎之助の4名が病死した。1887年、大阪市天王寺区の壽法寺にて彼らの慰霊祭が執り行われた。また、後に社会主義者となった福田英子は、自身の著書『妾の半生涯』の中でこの事件を回想し、当時の運動が国権主義的な側面を持っていたことを批判的に記述している。
よくある質問
大阪事件とは何ですか?
1885年に自由党左派の大井憲太郎らが中心となって計画した、朝鮮の内政改革と連動した民主主義革命を目指す運動です。
なぜ計画は失敗したのですか?
資金調達のための強盗計画や爆弾製造を進めていたところ、関係者の変心により計画が事前に発覚したためです。
福田英子はこの事件とどのような関わりがありますか?
景山英子として計画に協力し、爆発物の運搬などで投獄されました。後に『妾の半生涯』で事件を回想しています。
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参考文献
- 後藤靖「大阪事件」『日本歴史大辞典 第2巻』河出書房新社、1974年。
- 佐々木克『日本近代の出発』集英社、1992年。
- 浄土宗 壽法寺「著名人のお墓」